『十一代目團十郎と六代目右歌衛門』『歌舞伎座誕生』など歌舞伎に関する歴史を書いてきた中川右介氏の最新刊です。本書も氏のクラシック音楽関係の著作と同様に、多くの文献資料を縦横に駆使して、「明治以降の歌舞伎の家系と血統と藝がどのように継承されていったかを描く」労作です。 新書版ですが、総ページ数で450ページものヴォリュームがあります。 四月に新装開場した第五期歌舞伎座にあわせての刊行を目指したようですが、昨年十二月の勘三郎、そして二月の團十郎逝去のショックで、「それぞれ数日間何も書く気がしなくなってしまったのだ」とあとがきにありますが、同様に「この本を書くという仕事があったからこそ、そのショックから立ち直れたとも言える」ともあります。
そのような歌舞伎を愛する著者が複雑な歌舞伎の家系の歴史を書くにあたってとった基本的スタンスは、第五期歌舞伎座新装開場の柿葺落興行当初の三ヶ月において主役を務めた役者が属する七つの家に絞ったことです。これは現代の観客にとって実際に自分の目で観ている役者の家系のことが書いてある訳ですから、大変親しみを感じながら本書を繙くことができます。
そして本書は「この七家の家と血と藝の継承を描くが、全体としては、明治期以降現在までの歌舞伎座の座頭をめぐる権力闘争の歴史でもある」と著者は言います。権力闘争と言うと引いてしまう読者もいるかもしれません。しかし、どこの世界、組織でもトップを目指そうという野心があるのが人間の常です。ですから、歌舞伎役者も「歌舞伎座で主役を演じること」を求める闘争があるのは至極当然のことです。ましてや、世襲制度に支えられた門閥主義が色濃く残る世界です。七家の寡占体制は複雑な姻戚関係にも裏打ちされて揺るぐことはありません。
しかし、明治期以降、とくに歌舞伎座誕生以降の役者の家も栄枯盛衰・有為転変があり、その歴史を七家について列伝体形式で書かれた本書はかってない出色の歌舞伎、さらに言えば歌舞伎座の歴史になっています。ただし、「藝」そのものの解説は本書では行われていないことに注意する必要があります。
全体は四部に分かれ、「第四部 新たな希望」と題して歌舞伎役者の現在と今後の展望にも簡単に触れられていますが、本書の核心は第一部から第三部までの各家ごとの歴史です。通して読むことが前提でしょうが、各家ごとについて二話または三話があてられていますので、各家ごとに通して読むこと可能なように配慮されています。役者の家系は実子・養子、結婚・再婚、そして襲名によって次々と名前が変わって行くので、複雑きわまりないのですが、そこは家系図や主な登場人物となる役者のプロフィールも挿入されていて、読者の理解を助けます。ただし、 文献資料では例えば養子となっていても実子の噂があったり、実の親が不詳である場合があります。その点も著者は不明な点はハッキリと分からないと書いています。
私は本書を読んで日本古代の天皇家の争い、藤原一族や平家が天皇の外戚を通して政治の実権を握って行く王朝の歴史を思い起こしました。そして主に藝談などを基に書かれていると思われるいろいろなエピソードは大変人間臭く、ドラマチックで読み飽きることはありません。今の歌舞伎に関心のある方にはぜひ一度読んでいただきたい本です。
なお、目次に基づいて本書の構成を本記事の末尾に七家に分けて表形式で作成してみました。縦軸が七家、横軸が第一部から第三部です。カッコ内が家ごとの話の通し番号です。これにより本書の緻密な構成が明らかになると思います。ただし、私のブログ作成技術の拙さから記事本文から相当の空白ができてしまったことをお詫びします。
また、第五話はフランス系アメリカ人の子として際立った美男子であった十五代目市村羽左衛門が、また第二十話は「中村勘三郎の死」として十八代目勘三郎が例外的に取り上げられています。これは両名跡とも現時点では残念なことに名乗る役者がいなくなってしまいましたが、江戸三座の座元という由緒ある名前として、さらには十八代目勘三郎への鎮魂歌として書かれているものと思います。
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第一部 |
第二部 |
第三部 |
明治から大正 |
大正から昭和戦前 |
昭和戦後から平成 |
市川團十郎家 |
第一話(その一) |
第十一話(その二) |
第十三話(その三) |
尾上菊五郎家 |
第二話(その一) |
第七話(その二) |
第十五話(その三) |
中村歌右衛門家 |
第三話(その一) |
第六話(その二) |
第十四話(その三) |
片岡仁左衛門家 |
第四話(その一) |
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第十二話(その二) |
第十八話(その三) |
中村吉右衛門家 |
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第八話(その一) |
第十七話(その二) |
松本幸四郎家 |
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第九話(その一) |
第十六話(その二) |
守田勘彌・坂東三津五郎家 |
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第十話(その一) |
第十九話(その二) |