花形歌舞伎第一部は猿之助四十八撰の内の『於染久松色読販』、いわゆる『お染の七役』である。立役の猿之助がこの女形が七役を早替りで見せる演目を四十八撰に入れたのは意外に感じたものである。しかし、ご本人なりの考えがあって、いわゆる3Sを標榜した猿之助歌舞伎には早替りが欠かせない要素であるから、あえて選んだものとも考えられる。
現在活躍中の女形では玉三郎と福助が演じた七役を私は観ている。福助がある意味で自由奔放に七役を演じ分けたのに対して、玉三郎は五代目河原崎國太郎から教えを受けた、古風な、それでいて土手のお六などは典型的な悪婆の見本のような出来になっていた。
今回は亀治郎が七役に挑んだ舞台である。最近は澤瀉屋の芸の継承を宣言して、意図して立役も多く務め、猿之助が復活した通し狂言も次々と上演している。そういう意味ではもともと女形から出発した亀治郎にとって、この『お染の七役』は満を持しての上演ということになろう。
しかし、結論から言うと亀治郎の七役がすべて成功したとは言えないように思う。私が観劇した日が初日から二日目という点を割り引いても、七役の演じ分けが精一杯で、全体として淡白であり、山場がなくさらさらと流れている印象があったからである。七役で一番性格として演じ甲斐のある土手のお六にその点が顕著である。この辺は亀治郎なりの計算があるのであろうが、油屋での強請の場面もずいぶんあっさりとしているように感じられた。ここはもっと手強くてもよいであろう。
ほかの女形の役ではお光の一途さ、そして狂ってからの哀れさが秀逸である。蓮っ葉で、仇っぽい芸者小糸も亀治郎が得意としている役柄である。それに対して、奥女中竹川とお染の母親貞昌はまだ手に余る感じである。お染自体は悪くはないが、久松との早替りが多く、誰が演じても大家のお嬢様を綺麗に見せるのが意外と難しい。久松は言わば狂言回しの役であるが、まめまめしく品があり、最近の立役の好調さを裏付けたと言えよう。
染五郎の鬼門の喜兵衛は何回も演じているので、手馴れてきた役作りであるから、安心して見ていられるが、さらに骨太の悪が求められるであろう。秀調の油屋太郎七と友右衛門の山家屋清兵衛が手堅く脇を固めている。門之助の久作は健闘しているものの、まだこの人には向いていない役ではないだろうか?亀鶴と笑也の二人がお光と絡む踊りは、観ていて爽やかである。亀鶴の船頭長吉は颯爽としているのがよい。
注文をだいぶ書いたが、このあたりは亀治郎のことであるから、日を追うごとに手直しされてくるものと考えられる。早替りはござを使った瞬間的な早替りに着物が開いて見える些細なミスがあったが、そのほかは完璧で見事である。スッポンのない花道での駕籠を使った早替りはタネを知ってしまえば当たり前の手品のようなものであるが、それにしても狭い仮設花道での早替りは鮮やかである。