徒然なる日々の条々を、六条亭が日記風に綴ります。本屋「六条亭雑記」もよろしく。
 
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コクーン歌舞伎『盟三五大切』初日観劇雑感
今回のコクーン歌舞伎は菊之助の出演を得て、串田演出にしては歌舞伎として至極まっとうなものになっていて、なかなか楽しめました。もちろん、通常の上演とは異なった部分があちらこちらに見受けられました。しかしながら、この鶴屋南北の言わば近代性が明確な狂言は、それほど手を加えなくても斬新なものであると思いますから、どれほどの効果があがっているかという点に関しましては私としては疑問符を付けざるを得ません。

以下、昨日の初日を観た感想をできる限りネタバレのないよう箇条書きとし、雑感といたします。

(1)風景絵の紗幕の使用は序幕の佃沖新地鼻の場では効果的ですが、大詰まで変わらないのはいかにもそぐわない。
(2)装置はいつものコクーン歌舞伎同様簡素なものであるが、五人切りの五人切りの場では、回り舞台も使って、違った視点からの源五兵衛たちの動きを見せているのはよい工夫と思った。ただし、この時の源五兵衛は手拭いを被っていない。
(3)伴奏には洋楽を多用し、録音によるもの(マーラーの交響曲の一部に聞えたが、未確認)と独奏チェロの演奏に黒御簾が絡んだりしている。独奏チェロは源五兵衛の心象風景を表しているようだが、マイク音量のためもあるだろうが、高音部がきつく、少々うるさく感じられた。
(4)本水を使っているので、平場席の観客の方にはビニールシートが配られていた。しかしながら、本水をわざわざ使うほどの意味があるとは思えない。
(5)橋之助の源五兵衛は前半小万の色香に溺れ、大事な百両の金を騙しとられるところは、間が抜けて見え、実は義士不破数右衛門という本性が分かりにくい。だから、残忍な殺人鬼のような所業に出る後半との対比が活きない。憎いながらも小万を愛している部分の表現が弱いのではないか?装置の関係か、愛染院門前の場の有名な見所がないのも残念である。
(6)勘太郎の三五郎は狡猾な小悪党ながら、実は顔も知らない主人のために働く誠実さが感じられた。ニンにあった適役である。
(7)菊之助の小万は妲妃と言われるような単純な悪女ではなく、可愛らしさと人の良さも十全に見せて、大変魅力的である。殺しの場面の凄惨な美しさは比類がない。
(8)脇役たちが地味ではあるが生き生きと動き回っている。弥十郎は大屋の弥助が本役。初日のハプニングであろうが、亀蔵が二度ほど台詞につまり、二度目はプロンプターの声も聞こえなかったようで、ムニャムニャとなってしまったのは珍しいことである。
(9)大詰では義士が登場せず、討ち入りを示唆する録音が流れる。由良之助は声のみで、勘三郎が出演していた!しかし、同時に舞台では多くの登場人物が五人切りの装置に現れ、何度も盆を回していたのは、なおさら数右衛門としての本性を曖昧にしてしまっているように感じられた。これでは多くの殺人を後悔しているように見え、そのような犠牲者を土台にして忠臣蔵の義士に戻ってゆくニヒルな点に欠けると思うのだが。

(追記)1.幕間20分一回のみで、上演時間が約三時間ですから、昨夜のような18時30分開演の場合は終演が21時45分となりました。これはいくらなんでも遅過ぎるのではないでしょうか?
(2)昨夜はカーテンコールが二回ありました。
(3)幕間にロビーで勘三郎さんに遭遇しました。顔色もよくお元気そうでした。近々の舞台復帰が楽しみです。
【2011. 06. 07 (火)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(6) | trackbacks(1) |
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この記事に関するコメント
お久しぶりです。自分も昨日の初日、拝見しました。
前売当初はまだまだ盛り上がりに欠け、平場最前列をゲットできました。
橋之助さん、良かったですね〜
かなり前に上演したときは、たしか当時勘九郎さんとのダブルキャストで、勘九郎バージョンのみ拝見したのですが、この役の特に後半の冷淡さは、橋之助さんの冷酷な顔立ちがぴったりで、あまり期待していなかったんですが、よい意味で裏切られました。
亀蔵さんのせりふ忘れは、自分も当初はめずらしいなあと思ったんですが、もしかして、あの場、芝居全体が源五兵衛をだます小芝居だったんで、あれももしかして、演出?だったのかも・・・・・
勘三郎さん、最後列でのご観劇、いい意味で、さそ悔しがっていたのではないでしょうか〜

| くまタン | 2011/06/07 4:11 PM |
> くまタン さま

同じ初日観劇、それも平場最前列でご覧になっていたのですね!私は二階下手側から拝見していました。

私の雑感はそういう意味でやや冷めた書き方をしていますが、平場席でご覧になつた迫力はまた別種の赴きがあると思います。

串田演出は橋之助丈の役を際立たせるには私は不満を感じまして、少々厳しめの雑感になってしまいました(^^;。

亀蔵さんの台詞のトチリはご指摘のように演出ではないかとも考えたのですが、非常に珍しいことですので、見たままを書きました。

勘三郎丈が観劇していた席は私の席からは分かりませんでしたが、若手の舞台に満足しながらもご自分も出たくてウズウズしていた複雑な心境だったと思います。
| 六条亭 | 2011/06/08 6:07 PM |
> マーラーの交響曲の一部に聞えたが、未確認

これは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番 第3楽章 Largo。USSR時代には要人が逝去したら、チャイコの「悲愴」第4楽章ととともによく使われた部分です。
| 通人C | 2011/06/18 8:40 AM |
> 通人C さま

ご教示ありがとうございましたm(__)m。

たしかにショスタコーヴィチの交響曲第五番の第三楽章でしたね(^^;。

ちょうど佐渡裕氏がベルリン・フィルの定期演奏会に初登場して、話題になった映像で確認いたしました。
| 六条亭 | 2011/06/18 10:19 PM |
ようやく感想をアップしました! 今回の舞台を観て、そうか、この物語は赤穂の義士たちの敵討ちを成就させるため、「忠義」という大義を不破数右衛門という実はたいしたことのない男に果たさせるために、こんなに多くの人が死んでいったという大悲劇なんだと納得しました。
それを通常の歌舞伎版ではシニカルさをもって庶民のエンタメとしてエログロたっぷりに見せているのだと思うのですが、串田演出は悲劇を悲劇としてウエットなドラマとして見せるという特徴をよりはっきりと認識できました。不破数右衛門の心の暗闇をくっきりと描き出すための工夫がこらされ、死んでいった人たちの生前の姿を浮かび上がらせるラストの盆回しになったのでしょう。串田さんの悲劇をウエットに描く手法がいいと思える舞台とそうでない舞台がありますが、今回はこれもアリと思えて面白く観ることができました。
プログラムにコクーン歌舞伎の17年を振り返る文章がありましたが、この劇場の初代芸術監督の串田さんは、途中から脚本も見直したり演出をしたりということになっていったようで、ブレヒト的な彼の志向に合うかどうかということで作品も厳選されているようです。ですから通常の歌舞伎とは全く違うテイストに仕上がるのかと納得しました。
この秋には勘三郎さんも復帰の「平成中村座」が長丁場でかかりますね。楽しみにしているところです。
| ぴかちゅう | 2011/07/11 12:13 AM |
> ぴかちゅう さま

TBをうったのみで、コメント返しが大変遅くなり、失礼しましたm(__)m。

串田演出は従来の歌舞伎の演出を斬新な角度とあらたな解釈で見直しており、その試みは高く評価できますね。

ただ、新鮮さを感じる反面繰り返しの観劇には耐えられない時もあります。その点この盟三五大切は成功した例に入りますね。

しかしながら、洋楽の多様は本来の歌舞伎としては疑問符をつけざるをえません。
| 六条亭 | 2011/07/20 8:59 PM |
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