徒然なる日々の条々を、六条亭が日記風に綴ります。本屋「六条亭雑記」もよろしく。
 
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【2018. 08. 18 (土)】 author : スポンサードリンク
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市川段治郎が病気で「十二月大歌舞伎」を休演
市川段治郎が、体調不良のため出演予定だった歌舞伎座「十二月大歌舞伎」を休演することになったと、歌舞伎座が正式発表した。段治郎は体調不良を訴えて診察を受け「筋緊張性頭痛」と診断されて、1カ月程度の安静が必要だという。

演じる予定だった昼の部「盲目物語」の浅井長政役は坂東薪車、夜の部「船辨慶」の武蔵坊弁慶役は坂東弥十郎がそれぞれ代役を務めるとのこと。

ニッカンスポーツ記事
サンケイスポーツ記事

実は休演の噂が数日前から錯綜して跳びかっていたが、やはり懸念したとおり事実となった。段治郎も昨年に続く折角の十二月歌舞伎での二役を休演するのは無念であろうが、療養に努めて早く復帰して欲しい。お正月の松竹座出演も心配ではある。

それにしても、弥十郎は昼の部は二役、夜の部は三役で出ずっぱりであるのは大変な奮闘振りである。

【12月1日追記】
昼の部『盲目物語』のその他の役の変更が明らかになったので、付け加える。
  浅井長政     坂東 薪 車
  文荷斎       市川 男女蔵
  河内        坂東 亀三郎       
【2005. 11. 30 (水)】 author : 六条亭
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平凡なる世界的大作家−ジェーン・オースティン
この年齢になると外国の小説は、主人公のカタカナの名前が覚え難くなり、どうしても敬遠しがちになるが、この英国の女流作家ジェーン・オースティンの作品は別格である。と言っても、1775年に生まれて、その生涯の殆どを田園地帯のハンプシャーで過ごして、42歳で世を去ったオースティンは僅か6篇の完成された作品しか残していない。

その作品の文庫が最近続けて刊行されて、多くの人が気軽にその魅力を知ることが出来るようになったのは嬉しいことである。
・『エマ』【上下】(ちくま文庫、この文庫には他に『高慢と偏見』もある)
『マンスフィールド・パーク』(中公文庫)

高校生の時、阿部知二訳『高慢と偏見』(最近は『自負と偏見』の訳名が相応しいように思ってきたが、ここは一般的なものを使う)を読んで、言ってみれば英国の田舎の家庭生活を舞台に結婚話を扱っているだけなのに、その機知に富んだ面白さに驚き、このような作家の作品はすべて読みたいと熱望するようになった。ところが、当時はまだ邦訳されていないか、されていても絶版で入手できずにいた。しかし幸いにその後同じ阿部知二訳で『エマ』、そしてしみじみとした味のある最後の作品『説き伏せられて(説得)』が数年後に刊行されて、その渇きを癒すことが出来た。それでも大作『マンスフィールド・パーク』がようやく本邦初訳されて読めたのは、さらにその後10年くらい経ってからだったように記憶している。そして全作品の邦訳が読めるようになったのは、映画化にともなって最近のことである。

ジェーン・オースティンについては、本HPでリンクしていただいている「信兵衛の読書手帖」で信兵衛さんが熱っぽくお薦めページを書いており、これを読めば一目瞭然でオースティンの全貌が分かるので、詳細はそちらに譲りたい。ただ、そのどの作品を読んでもその面白さは変わりないが、それぞれ主人公に性格により微妙な違いがあり、それがまた作品の深みを増していることを強調しておきたい。

S・モームが『世界の十大小説』のなかで、スタンダール、トルストイ、ドストエフスキーなどの文豪の作品と並んで、『高慢と偏見』をあげているのは有名なことであるが、実は彼女の代表作を一つあげるとなると、大変迷うのが事実である。私も読むたびにその作品が代表作と思ってしまうほどである。やはり『高慢と偏見』と後期の三つの作品−『マンスフィールド・パーク』『エマ』『説き伏せられて(説得)』はすべてお薦めである。最新の訳はなかなかこなれていて読み易くなっているので、どれから読んでもその面白さに魅了されることであろう。

この機会にその他の作品−とくに『説き伏せられて(説得)』の文庫化も早期に望みたい。
【2005. 11. 29 (火)】 author : 六条亭
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『児雷也豪傑譚話』千穐楽観劇の感想
26日千穐楽の『児雷也豪傑譚話』夜の部観劇は帰宅も遅かったうえ、昨日は紅葉狩りと、二日間続けて遊び歩いていたため(笑)、ブログでの感想は出遅れ気味ながら、前回のものに補足する形で、簡単に書いておきたい。

まず第一回目の観劇でも、大蛇、蝦蟇と蛞蝓(なめくじ)が本役も顔負けするほど(!?)素晴らしい動き、立ち回りと見得を見せてくれていたが、筋書きを見ても中に入っている役者が分からず残念に思っていたところ、ご本人のブログや他の方のブログの情報で分かったので、次の三人の名前をあらためて特記しておきたい。
・大蛇‥‥尾上辰巳
・蝦蟇‥‥尾上音之助
・蛞蝓‥‥坂東翔次

また大詰めでの火粉四天は、主役にからんでの立ち回り、トンボ、そして晒しを使った所作など一糸乱れぬ動きには、二回目にもかかわらず興奮してしまった。それには、舞台後方に陣取り、紗幕を通して見える菊五郎劇団音楽部の激しいリズムを刻む和太鼓を中心とした力強いアンサンブルによるところも大きい。邦楽器の合奏でもこのような演奏が出来ることを再認識した観客も多いのではないだろうか?

カーテンコールで主役四人に加えて、この火粉四天と音楽部の人々が全員舞台に登場し、観客の熱い拍手に晴れ晴れとした顔で応えていたのが印象的だった。恐らく大きな仕事を成し遂げた充足感に溢れていたのだと思う。

順序は逆になったが、その他の千穐楽のお楽しみは、やはり二幕目の八鎌鹿六屋敷の場にたくさんあった。菊五郎のお虎がさらにド派手な色の羽を着けていたし、松也のお辰の胸のタトゥーが千穐楽の文字になっていたのにはビックリ!團蔵と橘太郎の二人は、染之助・染太郎よろしく「千穐楽、おめでとうございます」とも言っていたなど、あげていたら切りがない面白さで、このコミック歌舞伎と称した舞台を凝縮した場だった。

今回の興行は他にもスモークや照明など普段の歌舞伎公演にはない工夫がいろいろあって、裏方さんは大変な苦労だったと思うけれども、大成功のうちに楽日を迎えられたことは、関係者の方々の努力に感謝とお祝いの言葉を記しておきたい。歌舞伎座の顔見世が地味な演目が多かったためもあって、こちらの公演の方がより祝祭的な雰囲気に彩られていて、華やかだったように思う。顔見世興行は、名目のみになったとしても、このようにファンを熱くさせてこそ、その名に値するように思うが、いががなものであろうか?今後とも是非このような埋もれている古典歌舞伎の復活と書替え(再創造)の試みを続けて、歌舞伎をより魅力的な、面白いものにするよう頑張って欲しいものである。
【2005. 11. 28 (月)】 author : 六条亭
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錦秋の香嵐渓in奥三河
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昨夜大いに盛り上がった児雷也の楽日観劇で帰宅が遅くなりましたが、今日は晩秋の紅葉狩りを楽しむべく、日帰りで奥三河の香嵐渓に来ました。晴天にも恵まれて、錦に彩られた美しい紅葉を見ることが出来ました。
【2005. 11. 27 (日)】 author : 六条亭
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歌舞伎が「世界無形文化遺産」に登録される
歌舞伎がユネスコの「世界無形文化遺産」に登録されることに決まった。

毎日新聞記事

これで能、文楽に続いて三大古典芸能がすべて登録されたことになる。随分遅いようだが、こういうものもどうやら順番があるようで、成立年代順に登録申請していたようである。時間の問題だったとはいえ、まずはおめでたいことである。
【2005. 11. 26 (土)】 author : 六条亭
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来年の玉三郎&鼓童のコラボレーション正式発表
和太鼓集団として世界的にも活躍している鼓童とのコラボレーションを続けてきた坂東玉三郎の来年の公演予定が正式発表されたことを他のブログやBBSから知った。

内容は、鼓童結成25周年として行われる『AMATERASU(アマテラス)』である。

【東京公演】
2006年5月11日[木]〜6月4日[日]全23公演 世田谷パブリックシアター

【京都公演】
2006年6月9日[金]〜6月25日[日]全16公演 京都四條 南座

日本神話を基に作られるであろうこの公演では、玉三郎はアマテラスのみではなく、アメノウズメも舞い踊るのであろうか?鼓童の迫力ある和太鼓をバックにどのような舞を見せてくれるのか、ファン必見の公演になりそうである。
【2005. 11. 25 (金)】 author : 六条亭
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ちょっとネットと書店のチェックをしていなかったら
今日の朝刊で、島田荘司『エデンの命題』(光文社)の新刊広告を見て、ビックリ(@_@。まったくノーチェックだったからだ。普段から好みの作家の新刊本発売情報についてはネットも含めてチェックしているつもりだったが、これは完全に漏れていた。島田荘司ファンとしては、早速書店に走らねば(^_^;)。

慌てて、こちらを調べたら、さすがにしっかりと掲載されていた。少々『摩天楼の怪人』に気を取られ過ぎ。しかも、今月は『上高地の切り裂きジャック』と『魔神の遊戯』の再発売もあって、ファンには嬉しい悲鳴である。しかし、さすがにこの二冊は既に読んでいるから、購入予定はないが、再刊でも手を加えることが多い人だから、念のため店頭でチェックをしてみなければ…。
【2005. 11. 24 (木)】 author : 六条亭
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佐野眞一『旅する巨人』を読む
読書のための本を選ぶ際に、もっとも悪い癖だと自認しているのが、一度読んで面白い著者に当たると、他の作品を続けて体系的に読みたくなってくることである。

佐野眞一は以前より気になっていたから、『阿片王』に続き早速代表作と目される作品の一つである『旅する巨人−宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋)を読んだ。だが、これには伏線というと大袈裟であるが、日本の中世を中心とした歴史に新風を吹き込んだ網野善彦の多くの著作の根底には、民俗学者宮本常一の影響が顕著であり、またその研究の出発点となった日本常民研究所を主宰した渋沢敬三にも多くを負っていると思えたからである。

渋沢敬三は、言うまでもなく明治の大実業家渋沢敬一の孫であり、日銀総裁から大蔵大臣まで勤めた大物経済人。その彼がもっともやりたかったのが、本当は実業ではなく民俗学を主にした学問の道であった。それが叶わなかった代わりに、私費をだして多くの若き学者の応援をしたことは、本書を読んではじめて知ったが、その恩恵を受けた学者はほとんどその道で大成した大物ばかりで、その数も半端ではない人数である。

しかし、その渋沢にもっとも愛されたのが宮本常一だったという。ほとんど学歴らしいものもない宮本は、一農民の目から日本全国をひたすら歩いて、この列島に住む人々の生活のありようを丹念に記録して行った。アカデミズムからの批判はあっても、その膨大な記録の集積が後進の人々に大きな影響を与えたであろうことは、よく分かる。民俗学と言えば、柳田国男であるが、その著作にどこか冷たさを感じ今まで馴染めなかったが、本書を読んでみて、宮本常一の著作ならば肌が合いそうだと思った。

田中角栄の日本列島改造論で大きく変貌した日本の、失われた古き良さ、暖かさを是非読み取ってみたいものである。まず『忘れられた日本人』(岩波文庫)あたりから徐々に読んで行こうと思う。
【2005. 11. 23 (水)】 author : 六条亭
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『オッフェンバックの夕べ』のDVD
三日前に書いたムーティの『ドン・ジョバンニ』のDVDを購入するつもりで、夕方CDショップに立寄ったら、同時発売の別のDVDに目移りしてしまって、そちらの方に手が出てしまった。『ドン・ジョバンニ』も視聴したいことは言うまでもないし、収録時間を考えたらコスト・パフォーマンスも高いのだが、出演者の魅力には勝てなかった。したがって、モーツアルトは先送り。

そのDVDは、オッター&ミンコフスキの『オッフェンバックの夕べ』である。

オッフェンバックと言えば、『天国と地獄』(『地獄のオルフェオ』)のあの有名な地獄のギャロップの部分しか知られていないが、最近そのオペレッタはヨーロッパでは見直しをされて、かなり上演される機会も多いようである。その先頭を切っているのが今回も指揮を執っているマルク・ミンコフスキ。CDでは主にラモーなどのフランス・バロック音楽のスペシャリストとして名を上げているが、実はオッフェンバック復興の立役者でもあるようだ。その弾むような生き生きとした音楽は、この盤でもオッフェンバックの音楽の愉悦を十二分味わせてくれる。

さらに魅力を倍加させてくれるのが、メゾ・ソプラノのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターである。彼女の清潔で透明感ある歌い振りはますます磨きがかかり、一種独特の官能美すら感じさせる。『ホフマン物語』、『ジェロルスタン女大公殿下』や『ラ・ペリコール』などからの歌は、滅多に聴けないような美しさと機知に溢れている。最後は当然の如く、合唱団とともに出演歌手総出で地獄のギャロップが華やかに歌われて、七色の紙吹雪が舞う中でこのコンサートの夕べは閉じられた。
【2005. 11. 22 (火)】 author : 六条亭
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佐野眞一『阿片王』を読む
佐野眞一というヴェテランのノンフィクション作家は自分と同年齢でもあり、主に日本の高度成長の光と影を主題にした多くの作品を発表していたので、以前より気になっていた存在であったが、この『阿片王』(新潮社)は、満州の夜と霧という副題に惹かれて図書館にリクエストしていたものである。

なぜ満州が気になるかと言えば、亡父が戦前満州にいて苦労して引き上げてきた後も当時の思い出をよく語って聞かせてくれたからである。それは子供心にも満州帝国とは日本人の大陸雄飛の夢を実現し、理想の王道楽土を目指したものであることは、おぼろげにも理解できた。しかし、日本の近代史を学ぶにつれて、日露戦争後の日本の侵略の行き着いた地点が日中戦争であり、満州帝国の建国であったことが分かってきた。ましてや当時の進歩的な歴史家の書くものは、日本の近代を断罪する視点からのものばかりであったから、ご多分にもれずそのような考え方に単純に影響を受け、満州帝国は歴史的な意味は無いと思ったのも事実であった。

しかし、自分なりに歴史を勉強して行くと、たしかに侵略戦争は軍部の独走を止められなかった諸体制に根本原因があり、満州帝国が日本の傀儡の偽帝国であることは事実としても、一つの国を作って行くことに、多くの頭脳が謂集して理想の実現を目指す数々の試みも行われていたことも理解できるようになった。しかも当時高度成長を遂げようとしつつある日本の首相のなかには、満州の国作りに腕を振るった岸信介があり(さらにはその弟の佐藤栄作も首相となった)、そのブレーンがかなり日本の官僚や学者としても活躍していた。また高度成長を支えた重工業なども満州では当時の日本より進んでおり、現代の日本を考える際に、満州のことを抜きには何も出来ないと考え、大学でも一時その点についての勉強をしたことがある。

それから40年近く経ち、従来の画一的な左翼史観も歴史的事実の重みの前に影を潜めて、その方面の研究や資料発掘はずいぶん進んだようである。作者も日本の高度成長の秘密を考える視点として、満州帝国の重要性を考え、関係者には阿片王と言われた里見甫という知られざる人物の姿を、膨大な資料と同時代者の証言で浮き彫りにしようとして、この力作を書いた。一枚の名簿から、そこに掲載された大物たちの異様さに着目して、この里見甫が軍部の裏工作機関として阿片を扱い、また多くの裏人脈との交流があったことを徐々にあぶりだすさまは、推理小説を読むようであり、大変面白く読んだ。また、それらの人脈が戦後にもつながって、政界をも動かしている事実は驚くべきことである。ただ、戦後側にいた秘書的な男が一種の山師であり、里見本人の書いたものを持ち出したまま紛失したため、作者の執念とも思える追跡調査にもかかわらず、その満州・上海時代の行動と実像がまだヴェール一枚隔たった茫漠としたままであるのは残念なことである。かえって、その周囲にいた男装の麗人をはじめとする謎めいた女性たちの関係が、摩訶不思議であるだけに強く印象に残った。それが里見甫という人物の磁場によると言えば、それまでだが…。
【2005. 11. 21 (月)】 author : 六条亭
| 読書 | comments(2) | trackbacks(0) |
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