夜の部は、25日と26日楽日の二日間連続で観劇した。ただし、『重の井』は都合により25日観劇のみであることをお断りしたい。
『重の井』
これは残念ながら、前回とあまり変わっていた印象は受けなかった。観る人によって異論はあるだろうが、私にはやはり福助の重の井が大名の息女の乳人という片はずしの存在感と重みに不足していると感じられたためかもしれない。だから、忠義と実の子への情愛に引き裂かれながらも、忠義を取らざるをえなかった心のひだが十分納得できない憾みが残った。
三吉役はもっと年少の子役が演じているのを見慣れている目から観ると、児太郎の三吉は、もう少し変わっていてもよい年齢であろうが、十分頑張っていた。
『船辨慶』
今回この演目がはじめの頃よりももっとも劇的に変わっていたと思う。ぐっと中身がつまって凝縮し、崇高な感すら覚えた舞台だった。それは何故かと考えてみると、静と知盛の霊の対比がメリハリが利いて、よりくっきりとしていたためであろうか。それは知盛の霊の登場時の台詞「これはかぁ〜んむ天皇の」の口跡の凄みと鮮やかさを一つ例に挙げてもよいであろうが、立女形が演じる異形の者と呼ぶに相応しい異界の禍々しさを感じて、戦慄すら覚えた。長刀を縦横無尽に振りながら、摺り足を使って波の上を漂うようにして何度も義経一行に襲い掛かりながら、弁慶の法力によって、無念を呑んで波間に消えて行くまではあっという間であった。
それゆえ、前ジテの静の別れの舞いも、その哀しみがより強く感じられた。静が烏帽子をぽとりと落として残し、花道をしずしずと引っ込み、そして吹かれるお囃子の笛には哀切感がさらに増していたと思う。勘三郎の船頭も、本人の色をかなり消して来ていて、玉三郎の目指している能を素材にした新しい舞踊の世界に同化してきたように感じられた。
それにしても、この杵勝三伝の内と言われる杵屋勝三郎作曲のこの曲は、本当に名曲だと思う。このような曲が今まで埋もれていたとは信じられない素晴らしさで、お囃子ともども十二分に堪能した。通常版とは別の舞踊と言ってもいいから、この舞踊復活の意義は大きい。
『松浦の太鼓』
勘三郎の松浦候が、父の十七代目の型をなぞっていたようなはじめの頃に比べると、自分の個性を強く発揮し出しており、それが良い方に変わって来ていた。愛嬌は言うまでも無いが、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを楽しみにしている我儘な、そして少し好色なお殿様振りが板について来ていた。だから、大高源吾の妹お縫に暇を出したものが、宝井其角の「年の瀬や水の流れと人の身は」に対する付句「明日待たるるその宝船」が今晩の討ち入りを示していると気が付いてからのはじけたような喜びには十分共感できた。
弥十郎の飄々とした其角、勘太郎の清潔感溢れるお縫、そして橋之助の煤竹売りから討ち入りの義士としての颯爽とした変身、亀蔵をはじめとする近習五人組みなど共演者も充実していて、師走狂言らしい楽しさで一杯の舞台だった。