今月の『京鹿子娘二人道成寺』について、詳しく書こうとすると、長くなる恐れもあるので、まず昼の部の簡単な感想から書きとめておきたい。
『春調娘七種』
これも曽我物の舞踊の一つ。歌昇の五郎、芝雀の静御前はしごくまっとう過ぎるほどの配役であるが、期待通り、いやそれ以上の力強さ、上品な美しさを見せてくれた。とくに最近このような舞踊になると、芝雀に大変古風な味が濃くなってきて、父雀右衛門にますます似てきた。橋之助の十郎は、もう少し柔らかさが欲しく、やや固い印象を受けた。この人は筋隈の荒事の方がよく似合うようだ。
『陣門・組打〜一谷嫩軍記』
これは次に続く『熊谷陣屋』が時代物の悲劇としてあまりにも有名であるが、その伏線をなす重要な部分で、源氏の武将熊谷直実が、平家の公達敦盛の首を打ったが、実は後白河院の落し胤である敦盛を助けるために我が子小次郎を身替りにしたという話である。したがって、観る方は花道を引っ込む小次郎が実は敦盛に入れ替わっていることを知っていても、その後の敦盛は同じ役者が演じていても、あくまでも小次郎ではなく、敦盛として演じなければ、そして敦盛に見えなければ、この狂言に込められた浄瑠璃作者の意図にそった悲劇とはならないように思う。
したがって、今回直実を演じる幸四郎の考えで、花道で小次郎の顔を見せて実は敦盛であることをあからさまにしているのは、興醒めであり、遠くの波間で戦う直実と敦盛を歌舞伎特有の工夫である「遠見」(子役が演じて見せる遠近法の演出)も無いこともあわせて、この舞台は大いに問題のあるものであったと思う。福助の若武者振りと芝雀の玉織姫に存在感があるだけに、惜しいことである。
『浮塒鷗』
隅田川の三圍の土手で駆け落ちをしてきたお染久松を、通りがかりの女猿曳がそれと察して、心中しないよう諭す舞踊。先月病気で休演した芝翫が元気に復帰して、情のある女猿曳を見事に踊って見せてくれただけで十分見応えがあった。菊之助のお染も大店のお嬢さまらしいたおやかな美しさと清潔な色気のクドキも満足すべきものだった。ここでも橋之助の久松は、ニンではないと感じた。
『幡随長兵衛』
昼の部一番の見もの。侠客幡随院長兵衛と旗本水野十郎左衛門の対立を軸に、長兵衛の男伊達と死を決して、妻子とも別れて、水野の屋敷に赴き、湯殿で最後を遂げるまでを描く。
吉右衛門の長兵衛が、今の歌舞伎役者のなかで他に思い付かないほどの極め付けとでも言うべきはまり役。男気があり、自分の死を賭してまでも、江戸っ子としての意地を貫こうとする役作りは、男でも惚れ惚れするようなかっこ良さであり、思わず「播磨屋」と声を掛けたくなる。
菊五郎の水野も旗本の矜持を強く出しており、玉三郎の長兵衛女房お時も出番は少ないながらも侠客の女房としての覚悟を見せていて、ほかに段四郎の唐犬権兵衛、歌六の同輩の旗本近藤登之助なども手堅い。前半の村山座の劇中劇「公平法問諍」も何度観ても、うまく出来ていて面白く、團蔵の公平は荒事振りと一転しての惰弱の対照が光っていた。