三谷幸喜が染五郎から依頼されて構想した最初の段階から、堀部(中山)安兵衛の高田馬場の決闘を主題にして、疾走する歌舞伎を目指したと言う通り、全編ノンストップの約130分あまり、役者も観客も、疾走に疾走を重ねて、笑い、ほろりとし、泣き、そして楽しんだ芝居だった。
劇場内に入ると、幕もなくむきだしの舞台、装置も何もない。このような舞台で歌舞伎が本当に出来るのだろうか?と考えたのは杞憂だった。舞台後方が高くなっていて、黒い紗幕があり、見ているうちに黒御簾さんたちがだんだん入ってきて、音を出し始める。ちょうどオーケストラの演奏前のような雰囲気で、笛の人が吹いているのが音合わせでオーボエのようにも感じられて、苦笑。最初の演奏は、「バ、バ、バ、バ、高田馬場」と唄っているようだったが、なぜかここだけはマイクを使っていたので、音が割れて逆に聞き取りにくい部分があったのは少し残念である(補記 映像により確認したところ、これはパ、パ、パ、パ、パルコ歌舞伎と唄っていたのが正しかった)。
柝が打たれると、舞台装置が左右からせり出してきて、花道はないので、真ん中下手の扉から役者が出てきて、下手通路を通って舞台にあがる。その後小さな回り舞台を活用して、簡素な装置を四方に裏表でうまく使って、裏長屋の表と部屋の中を作り出していた。また、安兵衛が高田馬場に駆けつけるところは、白い幕(ブレヒト幕というらしい)を二段で多用し、スピード感溢れる場面転換を繰り返して、迫力を出していた。
役者は主役の三人は出ずっぱりで、二役・三役と早替りで大活躍・大熱演である。染五郎が呑兵衛だが面倒見がよく、長屋の人々に愛される、かっこいい安兵衛と中津川祐範というおかまっぽい道場主という対照的な二役で見せ、また笑わてくれた。勘太郎の大工又八は、安兵衛を愛するあまり裏切り、最後は安兵衛のために喜んで死ぬ役を汗もつばも飛び散るような大熱演で演じきった。ところどころ父勘三郎にそっくりだった。亀治郎も驚くような三役早替り。どこか真面目過ぎて、周りから浮いてしまう可笑し味のある侍小野寺右京と堀部ホリなどを描き分けていて、大奮闘のせいかやや声が枯れていて心配のところもあったが、口跡は猿之助そっくりで、台詞回しは段四郎そのまま。
他に五人の役者−萬次郎のおウメばあさんが今までのイメージを打ち破る適役で面白く、また高麗蔵・宗之助の夫婦役もこんなにうまかったかと思うような溌溂とした演技で、橘太郎のへぼ医者と錦吾の菅野六郎左衛門とともにしっかりと舞台を盛り上げていたのが強く印象に残った。
しかし、何よりも三谷脚本が観客を笑わせて、ほろりとさせて、そして惹き付ける練達の作劇術で、うならせた。全編少しも冗長な所がなく、飽きさせず、幕切れもまもなく高田馬場に着く寸前で終わるのも鮮やかなものだと感心した。
若干のネタバレ。最初の方で、染五郎が倒れて天水桶の後ろを通って壁をぶち抜いて倒れるが、これが実は替え玉の人形だろう。すぐにもう一役になって上手から出てきて、その後また安兵衛本人になって足を回収して現れるのは笑える。また、主役三人の人形劇もあり、面白い(この人形のイメージは、とくに亀治郎役については
……てぬぐいぶろ……さんの記事をご覧下さい。傑作です)。また、亀治郎が勘太郎が打った釘を踏んでしまって、さかんに足袋の裏から抜こうとするシーンが再三出て来るのが、何とも言えず可笑しい。
そして、極めつけのビックリは、高田馬場に向かう時、幕を川に見立てて橘太郎などが渡るところで、水中との設定からつけ打ちさんが何と水中メガネとシュノーケルをつけている。是非お見逃しなく。
これは主演の染五郎・勘太郎が出ていたからでもないだろうが、野田秀樹作『野田版 研辰の討たれ』と並び現代を生きる作者による新作歌舞伎の傑作として、後世に残るものであろう。一歌舞伎ファンとして、このような作品に出会えたことを幸せに思ったのは大袈裟ではないと思う。