断続的に書いている、文学全集をキーにした学生時代の読書の思い出は、今度は日本の近・現代文学である。既に書いたように、文庫本はまだ評価の定まった古典的な作品が中心だったから、勢い明治・大正の作家が中心で、精々横光利一や川端康成など昭和初期のものに限定されていて、戦後作家のものは数少なかった。だから、日本文学の場合でも、ほとんど文学全集のバラ買いをして読んだ。
しかし、漱石、鴎外から自然主義、白樺派など順次読んで行っても、志賀直哉の唯一の長編小説『暗夜行路』と有島武郎『或る女』に興味をひかれたのみで、どうも海外文学と比べると日本の小説は物語性に不足している、つまり面白くなかった。十代の少年に作家個人の家庭や恋愛をありのまま書いた私小説が面白かろうはずがない。実生活をそのまま書いたからと言って、読む者を感動させるとは限らず、嘘のようなまこと、すなわち虚実とりまぜたものにこそ人間の真実を描き出せる。もっとも、当時はまだ口語体最初の小説二葉亭四迷『浮雲』『平凡』『其面影』を知らず、また島崎藤村の『夜明け前』はあまりにも長大かつ堅牢な構成ゆえに、敬遠していたから、その真の価値と偉大さを理解できるのはもう少し後になる。
そこで当然芥川龍之介や谷崎潤一郎の作品に魅力を感じて読み進み、その延長線上で昭和初期の新感覚派にまで手を広げた。今はその耽美的な美で圧倒的に川端康成の人気が高いが、新しい文学の試みとして多様な文体で実験的小説を書いた横光利一の方が面白く読めた。『日輪』『機械』『蠅』などは現在でももっと読まれていい作品でなはいだろうか?未完となった最後の長編小説『旅愁』も、執筆当時の時代背景を考えれば、日本の小説には珍しいモダンな香りを漂わせていて、現代でも十分に通用する。
これらの日本文学を読んだ全集は、『旅愁』を除けば、最初は新潮社版の日本文学全集だった。赤い函に入り、活字もぎっしりとつまったものだったけれども、ハンディーなことと現代作家が多く収録されていることが魅力的だった。その後、中央公論社が赤の「世界の文学」と対をなす青の「日本の文学」を挿絵入りで出版し、ゆったりとした組み方と魅力的な装禎、『細雪』『夜明け前』などの長編が一冊に収録されていることもあり、以降はこの中央公論社版をメインに購入した記憶がある。文藝春秋が『現代日本文学館』で新たに参入、河出書房が『日本文学全集』もグリーン版を、新潮社が『新潮日本文学』をと老舗も巻き返し、60年後半から70年代にかけては日本文学全集のブームだったように思う。
さらに、河出書房は純文学に限らず現代作家の売れ筋作品を集めた『現代の文学』も出し、五味川純平のベストセラー『人間の條件』を一冊に収めるなど話題を呼んだし、講談社も『われらの文学』という生きの良い現代の文学全集で目新しさを出し、日本文学の読者の裾野を大きく広げたように思う。随分その恩恵をこうむって、たくさんの作品を読むことが出来たのは、ちょうどよいめぐり合わせだったようである。その後は世界文学全集と同様、全集出版の企画は激減して、これらの全集はもう古書店や図書館でしか見つけることは出来なくなった。