国立劇場開場四十周年の記念公演の悼尾を飾ったのは新作歌舞伎脚本に入選した森山治男氏の作品(原題『豊寿丸変相』)だった。中将姫伝説と言われ、文楽や歌舞伎にもなっている題材であるが、最近はあまり上演されず、私もまったくの未知の世界。しかも、歌舞伎では意外と良い作品に恵まれない王朝物である。その出来栄えやいかに?と千穐楽まで観劇日が来るのをじりじりとしながら、楽しみに待っていた舞台だった。
結論から先に言えば、脚本の構成と台詞の素晴らしさ、それを生かした坂東玉三郎と石川耕士演出の冴え、自ら主演した玉三郎はじめ澤瀉屋一門が、脚本と演出の意図をよく消化した演技で、大変上質の新作歌舞伎を作り上げた。近年にない成果であろう。
舞台装置は舞台両手にある数枚の大きなパネル(草木染めとでも言うのだろうか?全体に地味な色彩である)を巧みに動かすことにより、屋敷になったり都大路や山中になる。背景は白一色のホリゾントのみ。舞台全体は客席に向かってやや傾斜しているという、たいそう簡素なものであるが、これにより場面転換に時間を取られず、間延びしないから、非常に複雑な物語をテンポよく見せる。また、照明効果もあって出演者の衣裳が大変美しく映える。また、音楽も筝、笛、琵琶の三種のみで、時折読経の声が交じるのもとても清々しい印象を与えた。玉三郎の演出の見事さであろう。
中将姫伝説はまったく不勉強で馴染みがなく、しかも奈良の当麻寺の曼荼羅は知っていてもその周辺知識に乏しかったのは恥じ入るばかりである。だからこの原題『豊寿丸変相』は、一種の近親相姦に匂いがする初瀬と豊寿丸の異母兄弟の物語で、伝説の中将姫が当麻寺へ入るまでの前史とも言える物語と知った時、何となく当麻寺のある二上山にまつわる大津皇子の悲運の死とその姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ万葉集の歌を思い出した(「うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を いろせ(弟)とわが見む」)。大津皇子は天武天皇の皇子であるが、皇后で後の持統天皇に疎まれて、死を賜ったのが史実と思われるが、この歌も同母姉弟とはいえ、通常の姉弟愛を越えた奇妙な愛を感じた記憶がある。
この脚本の、豊寿丸が一方的に初瀬へ言い寄り、しかも主人公初瀬はそのようなことになったのも己が罪業の報いだと、継母のいじめにもひたすら耐えて、ついには出家して世のために曼荼羅を織る決心をするという物語の大きな骨格を考えると、変相という原題は「形相の変わること」と字義通り捉えることは間違いであり、やはり仏教語でいう曼荼羅と同義の「浄土や地獄のありさまを絵画や彫刻として視覚化したもの」と解するのが妥当であろう。この改題された歌舞伎風の外題は、作者の伝えたかった主題そのものを現していて麗しいものと言えよう。
前置きが長くなったが、肝心の舞台は、やはり玉三郎の初瀬が自分の身一つにその罪業を背負って、祈る姿は敬虔であるばかりか、後光がさすような神々しさがある。また、自分のために豊寿丸が次々と人を殺し、また己も身代わりとなって継母の照夜の前に殺されてしまい、照夜の前も崖から身を投げるという、ある意味では陰惨な物語であるが、不思議と後味が爽やかなのは、その幕切れの初瀬の台詞にある。出家を決心した初瀬は母紫の前の霊の導きにより当麻寺へ入って、蓮の茎を糸にして曼荼羅を織ることにより、「世を捨てる」のではなく「世を拾う」ことに自らの生きる道を見出す。世捨て人という言葉から受ける暗いイメージが、世拾い人という前向きなものに転化していて、救いがあり、観客もカタルシス(精神の浄化)を覚えるのである。
猿之助によってスーパー歌舞伎で鍛えられた澤瀉屋一の健闘もこの新作歌舞伎の成功の一因である。なかでも、玉三郎の指名によって普段とは異なる継子いじめの照夜の前で女形を演じた右近が、予想以上に憎々しげでいて、また自分の腹を痛めた子への愛情のためには苛烈な行動もいとわない役が似合っていた。彼の役柄を広げるためにもどんどんこのような役に挑戦して欲しい。笑三郎の侍女月絹は、初瀬とほぼ一緒に舞台にいる重要な役。出過ぎず、と言って周囲との間をつなぐ重みがあり、また家臣の将監の妻という心もあわせ持っているのも立派である。
初瀬と並ぶもう一方の主役の段治郎の豊寿丸は、姉の初瀬を一途に恋い慕うあまりに次々と人殺しまでしてしまうこの役は、ニンであるものの、一種のストーカー的な要素は薄い点は残念である。もう少し不気味さがあってもよかったと思う。もう一役の山守り蓮介の方が純朴でいい。猿弥の嘉藤太が、主の命により初瀬を殺さなければならない葛藤を色濃く演じていた。春猿の紫の前は出番は少ないが、眩いような美しさが際立っていた。寿猿、延夫が手堅い。門之助の父藤原豊成は上流貴族の雰囲気があり、さすがに演技に一日の長があったが、この役は家族の悲劇の真実に気付いていなかった愚直な一面があってもよかったと思う。
今回は演出のみの予定が脚本を読んで玉三郎自ら出演を希望したことから観客収容能力の小さい小劇場での公演となった。このため、チケットの入手が困難だった様子であるが、多くの観客の方に観てもらいた素晴らしいものだったから、是非また早い時期の再演を期待したい。と言って、内容から言って、大劇場や歌舞伎座ではあわないであろうから、難しいところである。