徒然なる日々の条々を、六条亭が日記風に綴ります。本屋「六条亭雑記」もよろしく。
 
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【2018. 08. 18 (土)】 author : スポンサードリンク
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歌舞伎成分解析!?
rikaさまのブログで教えていただいた歌舞伎成分解析。

拙ブログの分析結果↓。

六条亭の東屋の55%は中村富十郎のエネルギッシュさで出来て御座います。
六条亭の東屋の30%は片岡孝太郎の愛らしさで出来て御座います。
六条亭の東屋の8%は尾上松緑のどんぐり眼で出来て御座います。
六条亭の東屋の7%は尾上菊之助の香り立つ色気で出来て御座います。


私はそんなにエネルギッシュではないが、富十郎さんが55%とは光栄である(笑)。女形は玉三郎さんが出てこないのは残念である。しかし、菊之助さんの香り立つ色気があるそうであるから、まずは満足。

本名での解析結果は、う〜ん、内緒にしておきます(^_^;)。
【2007. 06. 30 (土)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(6) | trackbacks(0) |
「古典的で新しい冒険」−『NINAGAWA 十二夜』再演の菊之助
本29日(金)で事実上六月も終りである。慌ただしく一ヶ月が過ぎてしまい、歌舞伎観劇もそれぞれ一回のみだったが、七月は歌舞伎座で待望の『NINAGAWA 十二夜』の再演が七日に初日の幕を開ける。

本29日の朝日新聞夕刊(東京本社版)の金曜エンタ(第5面)では、主役の菊之助の大きなカラー写真付きでインタビューを交えた特集記事を掲載している。題して「古典的で新しい冒険」。以下、記事から一部を抜粋する。これを読むと再演に向けた試みと意気込みが伝わってきて、ますます初日観劇が楽しみになって来た。

 花の中の花として、女形と立役を行き来する。
 声を聞いていただきたい。
 鈴が鳴るようで、強い。りりしい男声にして、なまめいた女声が同居する。しかも、しわがれにくい。
 (中略)
 再演ゆえの安心感が余裕を生み、冒険へと踏み出させた。
 「あいまいであやうい形のほうがおもしろく自由で、お客さんと一体化できる気がします。今回は、せりふ回しも歌舞伎に引き寄せ、球技のパスのようにポンポン進めています。声も、ボリュームのつまみを動かすように自在に出してみました」
 踊りの場面も、劇の内容に関連づけて改作した。「三角関係を表現し、自分の役の恋のはかなさもにじませたい」。「京鹿子娘道成寺」などを連想させる所作。冒険はあくまで古典的だ。「『古典でありつつ、新しい』という境地を追究しています。即席の型は、時間がたつとどうしても腐るので」
 目も、見ていただきたい。
 何かを清純に訴えてくる。時折、色気と憂いが兆す。中田秀夫監督の初主演映画「怪談」で、この目がものをいうのだ。(以下、略)
【2007. 06. 29 (金)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(0) | trackbacks(0) |
戸板康二『目黒の狂女 中村雅楽探偵全集3』の発売
昨日楽しみに待つと書いた中村雅楽探偵全集第3巻を本日入手出来た。全23篇収録。早速「俳優祭」を読んだが、先日の俳優祭の観劇に重なる部分もあって、思わずニヤリとする場面も多かった。その他の作品も歌舞伎に関係する標題が多く、また当分一つ一つ味わいながら読んで行きたい。

『目黒の狂女 中村雅楽探偵全集3』(創元推理文庫)

なお、本巻では、松井今朝子氏が解説をされている。

松井今朝子ホームページ
【2007. 06. 28 (木)】 author : 六条亭
| 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
忙中忙あり
先週からいろいろな要因が重なって仕事に追いまくられていて、青息吐息である。だが、不思議なもので、そんな時ほど少ない時間を使って、気分転換にDVD鑑賞や読書をしている。

ベームの『フィガロの結婚』も全部で3時間の映像であるが、2日間で観てしまった。そして、今頃であるが、世界的ベストセラーの『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだ。最近は翻訳物が億劫であり、しかもベストセラーだとややへそ曲がりにブームが沈静化して読む傾向がある。本書は読み終わって、なるほどこれはキリスト教を題材にした歴史ミステリーとして第一級の作品だと思った。キリスト教聖杯伝説は日本では馴染みが薄いが、かえってカトリックが支配的になる以前の原始キリスト教の時代が非常に多様で魅力的な世界に感じられる。これほど多くの謎を解き明かした本書を読んだ後は、私のなかのヨーロッパの歴史像も変わって来るように思う。

さて、これからの楽しみは新発売のコープマンのバッハ−カンタータ集のDVDと、間もなく発売される中村雅楽探偵全集第3巻『目黒の狂女』である。
【2007. 06. 27 (水)】 author : 六条亭
| 日記 | comments(0) | trackbacks(0) |
『三人吉三』−コクーン歌舞伎の簡単な感想
六年前の前回の『三人吉三』の舞台を観ていないから、今回の再演は大変期待したものであった。事実楽しみながら観劇してきた。だが、その感想をまとめようとすると、はたと困惑して感想が整理できないまま一週間が経ってしまった。それは何故か?恐らく三年前の團十郎、玉三郎、仁左衛門の大顔合わせによる『三人吉三巴白浪』の観劇体験が大きいのだと思う。

それは真女形の玉三郎がはじめて挑んだお嬢吉三であり、はじめこそ戸惑った風に見えた玉三郎が作者黙阿弥の意図した通りの男とも女ともつかない両性具有のあやしい倒錯的な世界を、とりわけ仁左衛門のお坊とともに吉祥院の場で作り出していたからである。そして、大詰めの雪の中の立ち回りも今までの常識を越えた激しさだった。

だから、その強烈な印象が自分のなかで『三人吉三』の一つの理想像を形成してしまっているようで、どうしてもそれと比較して他の『三人吉三』を観てしまうようだ。したがって、今回のコクーン歌舞伎『三人吉三』の感想も、そのような偏りがある点をあらかじめお断りしておきたい。

このコクーン歌舞伎の上演では、有名な「大川端庚申塚の場」より以前の物語を、大変要領よく、また江戸庶民のある意味では猥雑な雰囲気を的確に描いており、それでなくとも錯綜かつ時代離れした話が今の観客にも分かり易く整理されているのは演出の串田和美の腕である。最初は幕が開いたままとなっており、暗闇の中で真っ白い犬が舞台を通り抜けたり、庚申丸を安森家から土左衛門伝吉が盗み、犬を斬り殺す発端が示される。犬にまつわる因果噺がこの話の主題の一つであるから、うまい手法であると思う。

一旦幕が閉まった後、本当の序幕がはじまるが、勘三郎の太郎右衛門や橋之助の海老名軍蔵、亀蔵の研師与九兵衛がからんでややドタバタ劇のような展開が続く。勘三郎の「申告します」というような自虐ネタや平成中村座のN・Y公演を意識しての英語での台詞、亀蔵の若大将ネタなどが平場席で次々と繰り出されるから、観客席は笑の渦である。しかも、橋之助は出っ歯で口に綿を含んで声まで変えているから、一見して誰だか分からないくらいだ。しかし、ここまでやる必要がある場面かとも思う。そのなかで百両を懐中にした勘太郎の十三郎と夜鷹おとせの七之助の娼妓宿での出会い、争いに巻き込まれての百両紛失までは、コクーンという劇場機構と照明を生かした工夫で、江戸下層社会の庶民の姿をあぶりだしている。夜鷹に小山三や芝喜松が出ているが、二人が舞台にいるのみで、生活感がにじみ出ているのはさすがである。今回勘太郎と七之助は、双子の兄妹とも知らず畜生道に落ちる(近親相姦)の役ながら、とてもしっとりと情のあるいい取り合わせである。この二人の禁断の恋が今回の話のメイン・ストーリーのようにも思えてくる。

ようやく「大川端庚申塚の場」になるが、ここでも有名な「月も朧に〜」の名台詞も福助のお嬢吉三が舞台の後ろ向きになっているところからはじまり、舞台が回って正面を向くという意表をつく演出法が取られている。これはそれなりに斬新であるが、そのためにであろうか、お坊吉三が駕籠に乗って登場しないのは、やはり絵にならないと思う。また、お嬢の出の際、福助は男が娘に化けていることを強調したいのは分かるが、口跡をお嬢さん風に作り過ぎるように感じられる。もっと普通の女形の口跡でよいのではないか?

伝吉役は笹野高史、台詞も演技も歌舞伎としてみれば渋く、はじめは周囲の役者とはそぐわず、浮いているように感じられたが、次第にそれは計算された演技であることが明らかとなる。十三郎とおとせが実は自分の生した双子の兄妹と分かり、その遠因が己にあることを覚ってからの苦悩は深く、大きい。串田和美が起用した狙いは当たっているのであるが、しかし、この狂言の現代性をより強調した結果となっていて、歌舞伎としての好き嫌いは別れるところだ。

勘三郎の和尚吉三は、貫禄といい、伝吉に対する気遣い、十三郎・おとせへの兄としての愛情などまことに申し分ない出来である。橋之助のお坊と福助のお嬢は、吉祥院の場が意外とあっさりとしていて、二人の同性愛的な部分が見えにくい。また裏手墓地の場の和尚による十三郎・おとせの殺しの場面は、あってもよかったように思う。

大詰めはお坊とお嬢の割り台詞も、両花道を使えばこその面白さであり、同じ舞台上では歌舞伎としての情緒は乏しい。だから、今回の公演はあえて言えば、『三人吉三』よりも、彼等をとりまく人間たちのドラマにより力点が置かれていると感じた。

大詰めはそれまでの暗闇が支配した世界から、一転しての一面の雪で真っ白な世界であり、大立ち回りもドカ雪のごとく舞い落ちる雪の中での激しいもの。まさに吹雪のごとく荒れ狂う立ち回りのなかで三人が折り重なって倒れるラストシーンは見ものであった。
【2007. 06. 25 (月)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(4) | trackbacks(0) |
PCのマウスを買い替える
4年前にPC購入して以来使い続けているマウスがここ1ヶ月くらいどうも動きが悪い。ポインターがこちらが思うように動いてくれず、PC操作の能率が著しく落ちて、イライラするばかり。PC付属のものでもあり、少し時代遅れかもしれないと思い、昨日電器量販店で物色した挙句、評判の良いL社の低価格のものを手に入れた。

早速これをPCに装着するところからまず驚いたのであるが、最近のマウスはUSBに接続するのであり、専用ソフトのCDがついているのである!これには自分の無知さ加減をさらけだしただけである。しかし、その後のマウス操作は、ポインターからスクロールまでカチッ、カチッと極めて素早く、正確で、使い心地がとても快適である。とくに今までスクロール・ボタンをほとんど使っていなかったので、この速さは驚異的である。これならもっと前に交換していれば入力作業が随分楽になっていたと思う。もっとも、キーボードのタイピングが相変わらず遅く、不正確だから、それほど能率があがった訳では無いが(^_^;)。
【2007. 06. 24 (日)】 author : 六条亭
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モーツァルト歌劇「フィガロの結婚」 カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場1980年日本公演
評価:
プライ(ヘルマン),ポップ(ルチア),バルツァ(アグネス),ウィーン国立歌劇場合唱団,ウィーン国立歌劇場管弦楽団,ベーム(カール),モーツァルト
NHKエンタープライズ
¥ 8,883
(2007-06-22)
以前発売予告記事を書き、発売をこれほど心待ちにしていたDVDもそう滅多にあるものではない。だから、これは感想というより、永年貧弱なカセット録音のみで愛聴していた音楽が、27年も前とは思えないほど鮮やかな音と映像が一体となったディスクで視聴出来た悦びを簡単に書くのみである。

指揮者カール・ベームは86歳、最後の来日公演をこのウィーン国立歌劇場と得意の『フィガロの結婚』で、しかもプライ、ポップ、ヤノヴィツ、ワイケル、バルツァというウィーンの現地でも実現できないような豪華な顔ぶれで飾ってくれたのは何より嬉しいことである。もちろん、椅子に座ったままの指揮であるが、晩年の特徴である遅いテンポも気にならない生気に富んだ音楽である。

視聴しているとあの歌のときはこういう演技をしていたのかと思うような面白さが続くが、プライとポップがとにかくうまい。豊かな声と溌剌としたプライのフィガロ、滅法チャーミングでコケテッシュ、容姿も声も美しいポップのスザンナ、ノーブルでいながら茶目っ気もあるヤノヴィッツの伯爵夫人ロジーナ、あやしい中性的な魅力をふりまくバルツァ、好色でいながら威厳もあるワイケルのアルマヴィーヴァ伯爵と主演者たちは、本当に素晴らしい。加えて、脇役も高水準の歌手で固めているから、なおさら合唱が生きる。

映像は暖色系であるが、当時の水準としては驚くほど鮮明である。音は映像と別に録音したものを最新技術でシンクロさせていて、深みもある。二、三箇所映像と音に揺れや雑音があるが、このDVDの価値を減じるようなものではない。当分このフィガロの音楽が頭の中で鳴り響きそうである。
【2007. 06. 23 (土)】 author : 六条亭
| クラシック音楽 | comments(0) | trackbacks(0) |
伝説的なライブ映像が次々とDVDで発売予定
テンシュテットの1988年のサントリーホールでのワーグナー・ライブとオイゲン・ヨッフムの1886年のブルックナーの交響曲第7番のライブが発売される。いずれも伝説的な演奏会であり、それが映像付きで発売されるのは垂涎物である。

テンシュテットのワーグナー・ライブ

オイゲン・ヨッフムのブルックナー交響曲第7番 ほか

とくに後者のブルックナーは、オーケストラがコンセルトヘボウ管弦楽団で、巨匠最後の日本公演である。しかも、音声が当時最新のPCM録音でとられたものを映像と同期させているようで、その面からも期待できる。ベーム&ウィーン国立歌劇場の『フィガロの結婚』も、当時放送されたテレビ録画の音声(モノラル)ではなく、FM生放送でされたステレオ音声の中継録音に差し替えているとのことだから、これから続々と出るであろう当時の映像もこのような技術で素晴らしい映像と音声となることが予想できる。
【2007. 06. 21 (木)】 author : 六条亭
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長谷部浩『菊五郎の色気』(文春新書)の発売
演劇評論家である長谷部浩の『菊五郎の色気』(文春新書)が発売された。

長谷部浩『菊五郎の色気』(文春新書)

最近の菊五郎の活躍は瞠目すべきものがある。昨年の『伽羅先代萩』の政岡をはじめ、国立劇場の初春興行『梅初春五十三驛』の復活上演、二月は『仮名手本忠臣蔵』の通しで昼は塩谷判官、夜は勘平の二役を演じて、昼夜とも切腹する役、そして三月は『義経千本桜』の通しで狐忠信を昼夜で演じた。團菊祭の『勧進帳』の富樫と『め組の喧嘩』の辰五郎、また今月から来月の二ヶ月間『NINAGAWA 十二夜』の再演で丸尾坊太夫と捨助に二役、と書いている方が目眩がしそうな大役続きである。第三十四回俳優祭の『白雪姫』の北千住観音というお遊びまである。しかも、それを力まず自然体で演じているように見えるのが凄いと思う。

考えてみれば、芸術院会員・人間国宝という歌舞伎界の頂点に立つこの人が、歌舞伎の古典から世話物、そして復活狂言と新作まで手がけているのは並大抵のことではないと思うが、どこか飄々とまた淡々と演じているうえ、いずれもすぐれた成果を挙げている。著者のように私も以前は菊五郎の無色でさっぱりとした舞台に飽き足りない思いをしたことも事実である。しかし、菊五郎劇団の総帥としての立場と自覚が出来てからの菊五郎は、気が付かないうちに大きく変身していたようである(いや、もしかしたらご本人は変わっていず、観る側の目が違ってきたのかもしれない)。

七代目が、今の歌舞伎界に大きな痕跡を残す六代目よりも五代目菊五郎を意識して、「おじいさん(六代目)を貶めるつもりはありませんが、私はどちらかというと、役者でありたいですね。(中略)僕はいくつになっても役者といわれたいですね」との発言は意外だったが、最近の菊五郎の舞台を観ていれば、納得できる。また「いつまでも、艶のある役者っていわれたいですね」という言葉も嬉しいものである。

この書は、菊五郎自身へのインタビューも含めて、「菊五郎の名跡」と「七代目菊五郎とその芸」の二部構成で、その魅力に迫っている。まだ購入したばかりで、半分程度読み終っただけであるが、歌舞伎好きにはその豊富なカラー写真もあり、必読のものであろう。


【2007. 06. 20 (水)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(0) | trackbacks(0) |
山田風太郎『明治忠臣蔵』を読む
平成5年12月初版の河出文庫版「山田風太郎コレクション」の明治編である。既に絶版のようで、amazonで画像が出ない。ちくま文庫版の山田風太郎明治小説全集ではこの収録作品を断片的に読めるかもしれない。

以前読んだことがあったはずであるが、今回再読して、あらためて明治政界の巨魁星亨の数奇な生き方を思った。名付けて「明治暗黒星」。とにかく一介の庶民から成り上がり、日本最初の弁護士から政界に転じ、衆議院議長や米国公使などの要職を務めるけれども、常に悪名が付きまとい、押し通ると言われたという。この「明治暗黒星」は、その星と幕末の剣客伊庭八郎の弟想太郎の維新後の転変する人生を交差させながら、星亨暗殺の凶行までを描く。しかも、死後その悪評とは裏腹に、星の残した財産は一万三千冊の書物と借金だけだったというのも意外で、不思議な余韻を残す。

このコレクションの表題となっている「明治忠臣蔵」も、明治期には有名だった旧相馬藩主をめぐるいわばお家騒動である。正義の味方風の壮士の弁護士に星亨がついたのも面白い。しかし、この作品の隠された面白さは、悪家老とも言われたが、実は忠勤の家政の一族に有名な作家が登場することであろう。よく思い出してみれば、彼の初期作品にはこの事件が陰を落としていた。
【2007. 06. 19 (火)】 author : 六条亭
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