十三日に観劇した歌舞伎鑑賞教室の感想が遅れていたので、簡単にまとめる。文字通り社会人が鑑賞できるように19時開演であるのは、観客の立場に立った大変よい試みで、さらに開催回数を増やして欲しいものである。
『歌舞伎のみかた』
松江の解説による『歌舞伎のみかた』は、今回は十二支にちなんだ歌舞伎に登場する動物づくしで、洒落ている。子(ね)は、『伽羅先代萩』の差し金から床下のねずみ、丑(うし)は『菅原伝授手習鑑』の牛車の牛、寅(とら)は『傾城反魂香』の虎、卯(う)は『玉兎』のうさぎ、辰(たつ)は『鳴神』の龍神、とここまでは具体的な演目を見せる。二名の観客に舞台にあがってもらい、巳(み)の蛇は小道具でびっくりさせ、午(うま)は実際の馬に乗ってもらうなど工夫している。ただ、未(ひつじ)が、羊羹で説明したのは少し疑問だった。
申(さる)は『堀川』の操り猿、酉(とり)は『道明寺』のものであろうが、観客が実際に触れることを優先にしていたので、演目は分かりにくかったように思う。戌(いぬ)も演目的にはいろいろ出るので特定はしていなかったが、これも代表的なものをあげてもよかったと思う。亥(いのしし)は、『仮名手本忠臣蔵』五段目の山崎街道の亥を観客に入って動いてもらうようにしていたが、普段何気なく観ているものが思ったより重労働で難しいものであることがよく分かった。なお、間に黒御簾や雷を表現する雷車の紹介もあった。
松江が次の幕の久松で出ることもあり、スライドで『新版歌祭文』のあらすじと見どころを福助のナレーションで解説していたのは親切だった。ただ、イラストがやや今風で私には馴染めなかったが。
『新版歌祭文』
父芝翫が得意にしている役であるので、福助のお光が初役とは意外だった。その初役は総合的に見れば十分に評価できるものと思う。とくに幕切れのそれまで抑えていた久松への思いを耐え切れず噴出させる場面は、泣かせる。それは許嫁の久松と祝言できると喜んだのもつかの間、久松と、恋仲となった油屋の娘お染たちを救うために、久松への思いを断ち切り尼の切り髪となるところでじっと耐える風情がよいからである。
ただ、前半お染が訪ねて来たと知ってからの所作は激し過ぎ、また顔の表情はくるくると変え過ぎで、軽薄に見える。それは幕切れの土手の場でも同じ事が言える。福助の年代の役者としてはもうそろそろじっくりと腰を据えた演技が望まれるのではないだろうか。
東蔵の久作がニンではないが、この人らしい手堅い役作り。松江の久松が、柔らか味に不足して固い。このような若衆の役をもっと勉強することが必要だと思う。芝のぶのお染は大抜擢であるが、お人形さんのように綺麗なだけでいつものような生気に乏しいのは残念である。芝喜松の後家お常が、しっとりとしていて情が篤く、ヴェテランの味がよく出ていた。
土手の場は、久作とお光を真ん中にして、両花道を船と駕籠が行く幕切れが歌舞伎の演出のすぐれたところだが、今回両花道を使っていなかったためもあるでろうが、いささか間が持たなかった気がする。ここは是非とも両花道を使って欲しかった。