初日観劇の際は、第二部の『新版舌切雀』があまりに冗長・散漫な印象だったためか、観る方も疲れてしまって、第三部観劇に集中できないきらいがあった。そこで、できれば第三部をもう一度観劇したいと考えていたところ、楽日のチケットが手に入ったので、急遽再見した。
そこで以下、簡単な感想。全体として言えることは、大変緊迫感ある舞台で、勘三郎の三役の演じ分けを十二分に堪能できた。配役には若干不満はあるが、よくまとまっていたと思う。裏表の世話物と時代物の対比も面白い。ただ、表の『伽羅先代萩』の通しを観ていない人には、少し分かり難い部分があることは否めなかった。
『花水橋』
七之助の頼兼は、さすがにまだ遊蕩する殿様には若過ぎるが、その品のある美しさ、口跡の爽やかさは、今回の納涼の他の演目にも共通していて、成長の跡を見せていた。亀蔵の絹川谷蔵が手堅い出来。
『大場道益宅の場』
ここは裏にあたる部分で。鶴千代暗殺のための毒薬を調合した大場道益が褒美にもらった二百両をめぐる殺しの場面。勘三郎の下男小助の小悪党ぶりが持ち味全開の面白さである。律儀な下男を装いながら、主人の金を狙ってついには殺してしまう。まんまと金を奪うが、その金を野良犬に持って行かれるというへまもして、笑わせる。彌十郎の道益が少々善人に見えるのが難点だが、金と女にだらしない医者の俗物さをよく出していた。福助の下女お竹がいつになく神妙。脇も橘太郎、菊十郎と充実している。
『足利家御殿の場』
鶴千代と千松を演じる二人の子役が達者で、お腹が空いてひもじいのを我慢するけなげさに泣かされる。勘三郎の政岡は、この役を是非演じてみたかったという意欲がよく表れている素晴らしい出来である。乳人として幼君鶴千代を護り通そうとする気迫が漲り、わが子が身代わりに毒入りの菓子を食べてしまい、八汐になぶり殺しされるのを顔色も変えず見守るその気丈さ。栄御前がそれを見て、わが味方と勘違いして、連判状を渡してゆく。その後の政岡が見ものである。緊張感が一挙にとけ、横たわるわが子の遺骸に取りすがり、よくやったと誉めながらも、悲しみに泣き崩れるさまは、忠義と母性愛とのはざまで激しく揺れ動く政岡の心情を見事に表出していた。今度は是非表の『伽羅先代萩』での勘三郎の政岡を観たいものである。
秀太郎の栄御前がさすがに貫禄ある出来である。
『同 床下の場』
勘太郎の荒獅子男之助に新鮮さがある。まだまだ未完成ではあるものの、荒事の基本に忠実な所作と口跡は爽快ですらある。勘三郎の仁木弾正の引っ込みは、もう少し大きさがあったら、なおさらよかったと思う。
『問注所小助対決の場』
通常の表の場合は、渡辺外記左衛門と仁木弾正が対決し、それを細川勝元が裁くという裁判劇であるが、ここでは裏の世界の小助とお竹親娘の対決を勝元の家来倉橋弥十郎が裁く。三津五郎の倉橋弥十郎が、物的証拠で小助を追い詰めてゆくのは現代の推理ドラマを思わせるものの、この世話物の裁判劇にはあっているかもしれない。三津五郎の鮮やかで、明快な裁きと、それに対する勘三郎の多彩な反応が見どころで、楽しめる場である。
『控所仁木刃傷の場』
市蔵の渡辺外記左衛門が、どうしてもこういう役であるとまだ大きさに不足するが、大健闘である。勘三郎の仁木弾正は、ここではとても凄みがあり、歌舞伎座の舞台が狭く見えるほどであった。松也の渡辺民部も好感の持てる清々しさである。三津五郎の細川勝元は、前の場の倉橋弥十郎と演じ分けるのはさぞや難しいだろうと思ったが、一段上の風格を出していたのは立派である。