昼夜チケットを押さえてあったが、残念ながら私用により夜の部観劇のみとなった。既に夜の部の感想をアップ済みであるが、やはり千穐楽はどの演目も大変充実していたので、重複する部分もあるが再度まとめる。
『勧進帳』
今月は何といっても仁左衛門の弁慶、勘三郎の富樫、玉三郎の義経のトリオによるこの『勧進帳』が一押しであった。何度観ているか分からない歌舞伎十八番の一つの人気演目であるが、この三人による顔合わせはとても清新な印象を受けた。玉三郎の義経は昭和六十三年一月の舞台を観ている。その前年から歌舞伎観劇をぼつぼつと再開したばかりだったから、玉三郎という売り出し中の女形が立役でも凛とした美しさがあることに驚いた記憶が鮮明である。とりわけ「判官御手」の部分はそれまで梅幸の義経を最高と思っていたが、玉三郎の義経も型の美しさばかりでなく窮地を救ってくれた弁慶に対する溢れんばかりのいたわりの心情がその右手から流れ出したような錯覚を覚えた。
その義経を玉三郎が二十年ぶりの再演。しかも、仁左衛門の弁慶も東京では二十一年ぶりで、もちろん初見。この人のニンは本来富樫であると思っているから、発表当初は驚いた。勘三郎の富樫も初見。
仁左衛門の弁慶は、筋書によれば先代が七代目幸四郎から教えられた型ということである。その弁慶の特徴を一言で言えば、主君義経思いの心情を明快にうちだした極めて分かりやすいものであった。例えば、花道の出では、義経の「いかに弁慶」で座ること(もっとも三階席の観劇ではそこまで見えなかったが)や、詰め寄りで金剛杖の左手を順手で持つところ(これは一回目の観劇では気が付かなかったが、これは和戦両様の形であることを
「上村以和於の随談」にて教えられた)、富樫を見送ってからそれまでの緊張がとけたように右手に持った金剛杖の後ろをカタンと床につけるところなどであるが、いずれにしても主君義経を立てて、何としてでも守り抜こうということがよく分かるすぐれたものである。しかも、その思いが全身から伝わってくるから細身の仁左衛門が大きく見え、加えて元々口跡の明晰な人が演じるから、難解な山伏問答も勘三郎の富樫とがっぷり四つで、緊迫感があった。
その勘三郎であるが、今月の五日の初見の時は、台詞回しに独特の粘るような癖が感じられたが、それはよく考えてみると先代勘三郎に似ていたのが気になってそう感じたようである。この千穐楽の富樫は、台詞も高く張っており、義経と弁慶主従に対して同情を寄せる武士を堂々と見せた。
玉三郎の義経も、五日の初見の時は、花道の能がかりの台詞回しにやや違和感を感じた。しかし、今回はまったくそれを感じさせず、終始悲劇の武将の愁いと気品に満ちた義経だった。だから、あの「判官御手」の部分は、仁左衛門という永年のコンビできた二人以外では醸し出せなかったであろう深い情愛に満ちた感動的な場面だった。このくだりを観ることが出来ただけでも今月の観劇は十二分に満たされたと感じた。
(蛇足)詰め寄りのところで、仁左衛門の中啓が落ちてしまうハプニングがあった。緊迫している場面であるから、どうなることかとハラハラしたが、團蔵がうまく拾い上げ後見にすばやく渡して一件落着。さすがヴェテラン。