書きかけのまま中断していた平成中村座『仮名手本忠臣蔵』の感想。仁左衛門の由良之助について簡単にまとめたい。
Aプログラムは、四段目の主役は切腹する塩谷判官とともに切腹の場面に慌ただしく駆け込んでくる大星由良之助である。切腹の後その焼香、そして諸士たちと館の明け渡しをめぐって緊迫の応酬の評定、最後は師直への復讐の決意を明らかにして、館を明け渡す。この四段目は大変重要な場面だが、その厳粛な内容もあってともすれば観客も緊張感が持続しない。しかし、今回は仁左衛門が由良之助を演じたことにより、重厚でありながら由良之助の人間像が的確に表現されて、感銘深い場となった。
仁左衛門は切迫した状況にようやく間に合ったというとばかりに花道の出からよろめくように、しかしまさに息せき切って駆け付けてくる。待ち侘びた判官が形見として腹切り刀の九寸五分を渡すとその表情から無念の思いを悟り、畏まって平伏して受ける。しかし、切腹して果てた判官の刀はしっかりと握り締められていて、簡単に取ることが出来ない。ここで仁左衛門は主君判官の手をいとおしそうに、またさぞ無念であったろうとの万感の思いをもって一本一本指を開いてゆき、形見の刀をわが手に押し抱くのである。今わの際の判官が家老に寄せた全幅の信頼とそれに応えて主君の無念さをひしひしと感じる由良之助が見事に表されている。
そして判官の死を弔う儀式があり、その後の評定が忠臣を装いながら吝嗇で卑怯な斧九太夫との対比で由良之助のきっぱりとした決意が、足利の討手と戦うといっていきり立つ諸士を心服させ、統率者としての人間の大きさを見せる。館明け渡しは、名残を惜しみながら、形見の刀に残る判官の血をなめて仇討の決意をあらたにする引っ込みが哀愁と同時に男の器量を感じさせた。
Bプログラムでは七段目の『祇園一力茶屋』の由良之助も、祇園での遊興に耽りながら、主君の仇を討つという内心を韜晦させている。この遊興ぶりと本性の切り替えが仁左衛門の由良之助は鮮やかである。例えば酒に酔いながらも密書を持ってきた子息の力弥に対するところの鋭い表情、またはその密書を読んでいるところをおかるに見られていて、実は寝返っていた九太夫が床下に潜んで読んでいたことに気がつき、今度は一転しておかるを身請けすると酔いにまぎらわせて約束するところのじゃらつき方などである。史実としての内蔵之助はさておき、ここでは仇討の計略のために遊興している仁左衛門の由良之助像が何とも魅力的である。
Bプログラムは十一段目に討ち入りに炭部屋で本懐を遂げた後、引き揚げの場が出る。文字通り本懐を遂げた後の引き揚げる浪士たちを統率する由良之助の表情も万感こもる晴れやかなものである。今回の通し狂言『仮名手本忠臣蔵』は、仁左衛門の由良之助と加古川本蔵の二役を得ることによって、非常に完成度の高い舞台となったことは特筆される。
肝心の座頭の勘三郎ほかの役者については、記事をあらためて書きたい。