17日に観劇した海老蔵の『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』の感想。七代目團十郎が初演したとはいえ、上演が絶えていたものを昭和五十四年に復活させたのは奈河彰輔の協力を得た猿之助とである。伊達騒動に題材をえた『伽羅先代萩』の書き替え狂言の一つで、一人の役者が次々と早替りで十役を演じる。猛優と形容される猿之助でなくては出来ないこの伊達の十役、猿之助の十八番にもなっている。その猿之助が封印していた狂言を海老蔵が猿之助の指導を受けて、復活した。
しかし、何しろ仁木弾正、絹川与右衛門、赤松満祐、足利頼兼、土手の道哲、荒獅子男之助、細川勝の立役七役に、高尾太夫、腰元累、乳人政岡の女形の三役と、とても一人で演じ分けるのは至難と考えられる役ばかりである。しかし、果敢にこの狂言に挑戦した海老蔵、結果として大ホームランである。休憩時間を含めて全五時間半、十役を演じ分けようとする意欲(例えば、声を十通り変えようとしている)が空回りする未完成な部分も散見するが、この十役に対する真摯な姿勢が伝わってくる熱い舞台で、まったく飽きさせなかったのはお手柄である。猿之助の財産が海老蔵に確実に海老蔵に受け継がれ、当り役になることは間違いない。
最初に海老蔵自らの「口上」がつく。『雷不動北山桜』の時と同じように、複雑な人物関係をパネルで、善悪に分けて説明する。そして外題の、『慙紅葉汗顔見勢』(はじもみじあせのかおみせ)とは、「恥も外聞もなく、紅葉のように顔を真っ赤にして大汗をかきかき、次から次へと早替りで十役を演じる。「裁き、裁かれ」「謀り、謀られ」「殺し、殺され」「宙を飛び、地に潜り」とめまぐるしく十役を四十数回早替りで演じるので、お目まだるい点はありますが普段の十倍もご声援のほどを」と挨拶した。
十役を役毎に見て行く。
(1)仁木弾正 この役は一昨年の同じ新橋演舞場の花形歌舞伎『伽羅先代萩』で経験済みである。あの時の弾正も凄まじいばかりの妖気溢れる弾正であったが、その点は今回もいわゆる「刃傷」の場は同様の出来で、彼の身体能力の素晴らしさがいかんなく発揮された。しかも今回は床下の場が宙乗りによる引っ込みである。忍術遣いの弾正の引っ込みは、花道をふわふわと雲の上を歩くがごとく、が一般的な型であるが、猿之助はこれを宙乗りに仕立てた。今回の海老蔵も一点をじっと見つめて瞬き一つせず、ゆっくりと空を行くような引っ込みを見せてくれて、宙乗りの効果抜群であった。
(2)絹川与右衛門 お家のために尽くす忠臣で、高尾太夫と累姉妹を手にかけてしまう。和事風に演じていたのは好感をもてるが、高音の台詞の悪い癖が時々気になる役でもある。この与右衛門が、高尾太夫と累姉妹、また道哲になる早替りはあまりの早さに唖然としたほどだった。
(3)細川勝元 裁き役の颯爽とした雰囲気がよく出ていたのは結構だっだと思う。
(4)土手の道哲 一転しての悪党は海老蔵の一番ニンでない役であろうと思ったが、憎めない悪ぶりもなかなかのものだった。
(5)荒獅子男之助 先代萩では通常床下でしか登場しない役であるから、仁木弾正との早替りがどうやるのか?と興味津々であったが、赤っ面ではなく、白塗りに隈をとっていた。この男之助、大喜利の所作事では、力強い押戻しとなって、登場するという大サービス。歌舞伎座の父團十郎と押戻しの競演となった。
(6)足利頼兼 騒動のもとになる遊蕩するお殿様である。柔らか味を出そうとして、かえって台詞回しが変に聞こえる。大いに改善の余地がある役である。
(7)赤松満祐 発端に登場するのみでさしたる役ではないが、亡霊のおどろおどろしさは出ていた。
(8)政岡 この女形の大役が意外と健闘していた。早替りもなくじっくりと演じる場面でもあり、我が子千松をお家のために犠牲にする男まさりの強さが前面に出ていた。ただし、時々ふっと素の男になる部分がある。
(9)高尾太夫 頼兼が入れあげる傾城。花魁道中も見せて絵になるが、今だしの感がある。
(10)累 この役が一番問題で、台詞を現代風に伸ばすのはいかがなものか?
大喜利の所作事「垂帽子不器用娘」(ひらりぼうしざいしょのふつつか)は、僅か30分弱の上演時間に『道成寺』と『双面』の趣向を取り入れて、高尾太夫と累姉妹の霊から蛇身になり、そして押戻しを付けるという贅沢なものである。
共演者では、市蔵の渡辺外記左衛門が忠義一途の老臣、笑三郎二役のうち栄御前が手強く大きい。右近の八汐は鏡に映して政岡の様子を見るという珍しい型を見せたが、さらに憎々しくてもよかったように思う。猿弥の大江鬼貫は病気のために途中休演があったが、ふてぶてしい悪役ぶりで「対決」の仁木弾正の代わりを見事に務めた。
この伊達の十役、さらに精進して海老蔵が再演することを期待したいものである。