徒然なる日々の条々を、六条亭が日記風に綴ります。本屋「六条亭雑記」もよろしく。
 
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

【2018. 08. 18 (土)】 author : スポンサードリンク
| - | - | - |
歌舞伎座閉場式の後に
201004302236000.jpg

閉場式は華やかで、そして内容の濃い公演でした。しみじみこれで歌舞伎座とも本当にお別れだな、と実感しました。詳細は追ってまとめますが、終演後友人たちと歌舞伎座に感謝しつつ、打ち上げをしました。

帰り道にまた歌舞伎座前を通りましたら、名残を惜しんで写真を撮る方が多数いました。正面玄関前に、「ありがとう、歌舞伎座」とのメッセージ付きの花束が置いてありました。

201004302237000.jpg
【2010. 04. 30 (金)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(2) | trackbacks(0) |
ついに残り1日です
201004301445001.jpg

歌舞伎座閉場式の幟があがっています。まもなく昼の部が終わるようです。

201004301449000.jpg
【2010. 04. 30 (金)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は関係者のみでの修祓式
明日の歌舞伎座閉場式を前に本29日は関係者のみで、修祓式(しゅうふつしき)が行われた。その様子は市川猿三郎さんの二輪草紙にて報告されている。

市川猿三郎 二輪草紙 「歌舞伎座 修祓式」

修祓式とは神道でみそぎはらいをすること、と辞書にあるとおり「60年にわたる現・歌舞伎座への感謝とこれから建て替えられる新・歌舞伎座が無事故であるよう祈願する修祓式」と歌舞伎座由縁の物故者への感謝祭が厳粛に執り行われたようである。舞台上への献花もあり、約二時間の行事だったという。

いよいよ明日は泣いても笑っても現・歌舞伎座最後のイベント・閉場式である。私も観客の一人として心より歌舞伎座への感謝の気持ちを表してきたいと思う。



【2010. 04. 29 (木)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(3) | trackbacks(0) |
御名残四月大歌舞伎千穐楽雑感
昨夜の千穐楽は、第二部、三部を通して観劇。激しい雨がようやくあがろうとする頃で、劇場周辺は報道陣と思われる人々、そして記念写真を取る人々でごった返していた。そのなかを入場すると、劇場内も普段以上に人また人で溢れかえり、汗ばむほどであった。雨中にもかかわらず着物姿の方も多く、またあちらこちらで記念写真を撮影する人が多数見受けられた。

私個人としてははじめて歌舞伎座に足を踏み入れた年齢の記憶が曖昧なのであるが、少なくとも昭和30年以前には既に誰かに連れられて観に行ったはずなので、ほぼ歌舞伎座60年の歴史と劇場体験が重なり合っているように思う。もちろんその間、常に歌舞伎座に出入りした訳ではなく、勤め人生活になってからは約二十年近いブランクがあった。しかし、歌舞伎観劇を再開して歌舞伎座に入っても、「あ〜、少しも変わっていないな〜、懐かしい」という印象だった。自分の我が家の帰ったように落ち着いたものである。学生時代は小遣いも少ないから、三階のおでんやさんでの食事が廉く、ボリュームがあって助かった記憶がある。その頃は以前にも書いたが、戦後歌舞伎を担ったビッグ6の時代で、今考えたら脇役までずいぶん役者が揃っていたと思う。しかし、たしかに観客は入らない月も多かったようだ。だから、歌舞伎座で一年を通じて歌舞伎を上演できなかった時代が長く続いた。

それに比べれば、建て替えのために休館する現在、歌舞伎人気は定着し、観客動員数も常に安定していることはご同慶の至りである。しかし、今の歌舞伎座独特の舞台空間を新・歌舞伎座ではどこまで継承できるのだろうか?心配ではある。

昨年一月からのさよなら公演、そして三月・四月の御名残大歌舞伎の人気は凄まじく、チケット入手には右往左往させられた。しかし、幸いなことに私はチケット運に恵まれたのか、すべて自力で確保し、四月は、第一部三回、第二部二回、第三部四回の観劇機会に恵まれた。

昨日の千穐楽の当日券を求めて、徹夜組も出たようである。以下、ニュース報道のリンクをはります。

59年ありがとう!歌舞伎座拍手鳴りやまず(日刊スポーツ記事)

ありがとう歌舞伎座 1951年開場“4代目”千秋楽(中日スポーツ記事)

団十郎さんの「助六」で幕 歌舞伎座さよなら公演千秋楽(asahi.com記事)

上記記事にもあるとおり、『助六由縁江戸桜』終演後劇場内の拍手は鳴り止まなかったが、再び幕が開くことはなかった。それを期待した向きも多かったであろうが、歌舞伎十八番の演目である。ここはいつもどおりという團十郎の意向が反映しているのであろう。私もそう思い、納得した。

第二部では、『寺子屋』がいつも以上に役者の皆さんの思い入れが深く、忠義のためにわが子を身替りにする悲劇を色濃く出していた。『三人吉三巴白浪』三人の個性が存分に発揮され、大顔合わせを楽しむことが出来た。藤十郎の『藤娘』は動きがさらに小さくなっているのは気になったが、その美しさは無類。

第三部は、前日まで休演していた芝翫が無事復帰、元気に楽日の浅岡を務めたのが嬉しい。狂言としては何回観てもあまり出来がよいとは思えないが、千之助、宜夫の好演で、ほろりとくる場面もあった。『助六』は、もう理屈抜きで、満喫した。昨夜は花外だったから、必ずしも好条件の観劇ではなかったが、出演している多数の役者さんと同じ空気を吸っているという感覚を肌身で実感した。そして花魁道中の揚巻の酔態ぶり、助六の出端など花道近くでなくては味わえないような心地よい酔いを感じた。

勘三郎の通人もひとつアドリブを追加していたが、「さよなら〜」と引っ込んでゆく目には涙が浮かんでいたような気がする。團十郎の助六はまず間違いなく今までの最高の助六であり、玉三郎の揚巻は現・歌舞伎座最後のプリマドンナとしての大きさと光り輝く美しさで圧倒していた。

さて、いよいよ本当の歌舞伎座とのお別れは、明日30日の閉場式夜の部になる。



【2010. 04. 29 (木)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(22) | trackbacks(1) |
これから千穐楽二部・三部の観劇
201004281443000.jpg

どきどきしながら、開演を待っています。
【2010. 04. 28 (水)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(2) | trackbacks(0) |
歌舞伎座閉場式のチケット、ようやく到着
明日はいよいよ御名残四月大歌舞伎の千穐楽。そして、言うまでもないことながら、現・歌舞伎座最後の千穐楽になる。何かまだ実感が湧かないが、明日の観劇、とくに第三部を観終わった時にどっとその思いが胸に迫って来そうな気がする。明日は第二部から観劇である。

ところで、30日(金)に開催される歌舞伎座閉場式、確保済みの夜の部チケットがようやく本日到着した。オークションなどで驚くような金額で出品されているのを見ると、転売防止ルールが踏みにじられていて、一歌舞伎ファンとしては腹立たしく情けない思いである。その対応策の一環らしく、発送を遅らせて先週末にしたようで、早い方は昨日届いていたようであるが、私の家には本日到着したので、ほっと一安心出来た。

歌舞伎座閉場式チケット封筒1

歌舞伎座閉場式チケット封筒2

上記写真はチケットを入れる特注の専用封筒の裏表である。以下は、プログラム。記念と思い、掲載したことをご了承ください。

歌舞伎座閉場式プログラム

【2010. 04. 27 (火)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(10) | trackbacks(0) |
和樂ムック『市川海老蔵 成田屋の粋と艶』の発売
評価:
市川 海老蔵
小学館
¥ 2,300
(2010-04-19)
Amazonランキング: 955位

この和樂ムック発売の紹介のタイミングを逸したので、簡単なレビューです。

篠山紀信が追い続けてきた市川海老蔵の記録の書。雑誌『和樂』に掲載された写真をまとめたもので、定評ある篠山紀信の撮影の腕はますます冴えて、海老蔵の舞台姿がひたすら美しい。また、『伊達の十役』の早替りの舞台裏など普段見ることのできない写真も多い。

海老蔵のインタビューは市川宗家の跡継ぎとしての自覚と精進の様子がうかがえて、頼もしい。



【2010. 04. 27 (火)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系列)で梅之さん夫妻が登場
本25日の14時〜フジテレビ系列で放送された「ザ・ノンフィクション」は「さらば歌舞伎座〜その愛された理由〜」と題して、「4月公演をもって、建て替えのため休場する歌舞伎座の舞台に立ち続けてきた中村勘三郎と小道具担当ら“裏方”が最終公演を迎えるまでの日々…彼らの想いを描く」との番組紹介のみであったので、どのような内容になるのかと興味津々だった。 時間の都合で録画して、ようやく全部を見終わったところである。

歌舞伎座の表側の役者は團十郎と勘三郎が代表し、裏方は「小道具」さんを中心に「衣裳」さんなどを取り上げていた。その小道具として立ち働く女性の方が「近藤さん」とあったので、もしやと続けて見ているうちに「梅之芝居日記」の中村梅之さんの奥様であった。梅之さんご夫妻の歌舞伎にかける情熱は並一通りではなく、奥様は一つ一つの芝居に関して詳細なノートを付けていて、これをいずれデータ・ベース化して共有したいという考え方は大いに共感出来た。もちろん職人技が必要であるし、細やかな心遣いが要求される仕事であるが、勘三郎に贈ったクリスマス・プレゼントのようなセンスがあれば、必ずや役者さんの可愛がられる小道具さんになることができるであろう。

梅之さんもブログを拝読しても大変な勉強家であることは言うまでもないから、このお二人は三年後に予定されている新・歌舞伎座の開場に立ち会えることは間違いないであろう。なお、本日の放送に関しての梅之さんの記事は、次のリンクのとおり。

有り難うございました(「梅之芝居日記」2010年4月25日)

ただ、ご本人も書いているように立役から女形へ変わったのは、足の怪我が直接の原因ではないこと(記事は、こちらの「義経千本稽古・一日目」(2007年2月27日))、ならびに名跡(みょうせき)を「めいせき」と言っていたのは番組スタッフの取材不足である。もっともナレーターが寺島しのぶであるから、音羽屋の娘としては自身で台本を訂正出来る知識は当然あるはずだが、どうしたわけであろうか?

【2010. 04. 25 (日)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(5) | trackbacks(0) |
竹本葵太夫「六世中村歌右衛門を語る」(受講レポ)
今開催されている早稲田大学演劇博物館の「六世 中村歌右衛門展−歌舞伎座とのあゆみ」に関連した演劇講座、竹本葵太夫の「六世中村歌右衛門を語る」を22日(木)に聴講してきました。当日は悪天候にもかかかわらず満員盛況でした。葵太夫は今月の御名残四月大歌舞伎の第一部「熊谷陣屋」の前を語り、第三部では「実録先代萩」御殿の後を語るという多忙の合間を縫って当演劇講座の駆けつけられたものです(竹本の今月の舞台出演は、こちら)。以下は講演内容のレポートです。早稲田大学教授であり、演劇評論家としてもお馴染みの児玉竜一氏が司会・進行を務めました。なお、開会にあたり、前館長である鳥越文蔵先生がご挨拶をされました。鳥越先生は、葵太夫の仲人である由。また梅玉さんも会場に見えておられました。

聴講者には「竹本葵太夫のホームページ」から師の略歴を抜粋転載したもの、ならびに葵太夫が六世歌右衛門晩年の二年半に務めた「妹背山婦女庭訓 吉野川」、「祇園祭礼信仰記 金閣寺」、「新薄雪物語」、「良弁杉由来 二月堂」、そして「国性爺合戦 楼門」の五つの演目の詳細を表裏一枚にした資料が配布されました。葵太夫の話はこの資料に基づいて児玉氏の質問に答える形で話が進められるとともに、適宜プロジェクターで秘蔵写真を映してくれましたので、大変分り易かったと思います。また最後に「妹背山婦女庭訓 吉野川」(平成3年4月歌舞伎座千穐楽、歌右衛門の定高、吉右衛門の大判事、鴈治郎(現・藤十郎)の久我之助、松江(現・魁春)の雛鳥)という貴重な映像の抜粋が映写されました。葵太夫は妹山を語っています。

葵太夫の竹本はよく響く低音で自在に語りますが、地の声もそのままの魅力的な低音です。またお人柄もご自身のホームページでも分かりますように大変謙虚で勉強熱心な方とお見受けしました。若くして多くの役者さんに引き立てられ、たくさんの賞を受賞されているのもよく分かります。ですから、最初は少々固かった印象がありましたが、司会の児玉氏の巧みなリードで話がほぐれてきますと、六世歌右衛門とのエピソードをはじめ19歳で初舞台の頃の話、そして当時の大幹部たちの言わば楽屋話を身振り手振りと声色で次から次へと語り、飽きさせませんでした。歌右衛門のお弟子さんである歌江さんの声色は有名ですが、葵太夫の声色も遜色ないものだった思います。

六世歌右衛門とのエピソードは順不同で次のような話などが披露されました。
・ 「祇園祭礼信仰記 金閣寺」では慶寿院役でしたから、葵太夫が爪先鼠の段を語っている時に歌右衛門がリフトで二階部分に上がってくる音が聞こえてくると緊張したこと。
・ 「新薄雪物語」では葵太夫が使っていた合引を歌右衛門が借りて打掛と同じ布で包み、自身が立ち上がる時の支えに使う工夫をしたこと。それを葵太夫が尻にひくのは申し訳ないと思ったこと。
・ 「良弁杉由来 二月堂」では、お弟子さんの僧が渚の方の手をひく時に罪人ではないのだから、と叱った話、また引っ込んだ後伴の僧で出ていた入ったばかりの役者さんが長く座っていたために足を摩っている側を「可哀そうだよ」と言いながら通るのが毎日の型になっていたこと。
・ 「国性爺合戦 楼門」では本来葵太夫の語りは御簾内であるが、ちょうど楼門上にいる錦祥女と同じ目線になることもあったためか、急遽下へ降りて文楽廻しに変更になったこと。その時の歌右衛門は「勿体無いから」と言っていたという。

その他歌右衛門は大変記憶力がよく脇役の端々まで覚えていて指導したことがあげられています。また実際に自分で演じてみせ、例えば「重の井の子別れ」の赤爺(本田弥三左衛門)など滅多に観ることができないものであったそうです。これは児玉氏が郡司正勝先生から聞いた話として補足したことですが、人魂の焼酎火の差金を使って見せたこともあったそうです。

葵太夫自身は榮緑さんという四回りも歳が上で、歌右衛門の注文の寸法を弁えた三味線の方に丁寧に教えてもらったお蔭で、それほど注文が付かなかったそうですが、それでも若い時代から注目して抜擢していただけたとはいえ、神様のような存在であり、側へ座ったり、舞台を観ていて目線があったりすると緊張して体が固くなったということです。

さて、葵太夫の話の中で傑作なのは、当時の大幹部に楽屋入りの挨拶をした時の様子です。今はふんぞり返る役者さんはごく稀です(ここで大きく笑いが起きましたが)が、当時でも一番丁寧なのは岡本町(ご承知の方も多いと思いますが、歌右衛門の当時の住まいをさして、岡本町と言っていました)の旦那ですと切り出して、梅幸、松緑、幸四郎、勘三郎、そして十三代目仁左衛門の見事な声色をも聴かせてくれました。児玉氏が「思いがけない芸を見せていただきました」と言うほどです。

「妹背山婦女庭訓 吉野川」で妹山を語る葵太夫はもう既に円熟した語り口で、吉右衛門さんも堂々とした大判事ぶりです。歌右衛門さんもこの定高が最後と思ったのでしょうか、幕が閉まったあと「ありがとう、ありがとう」と言い続けていたそうです。その時の記念として歌右衛門にサインをお願いしたところ、三味線の皮を保護する板に金地に美しい桜の絵と「雛飾るわずかのちりもいといけり」の句と魁春の落款のあるものをくださったそうで、葵太夫の宝物になっているとのことです。

葵太夫は竹本の序列で言うと上から四番目ですが、病気休養中の清太夫を別にしますと七十歳代がお二人で、六十歳台がなくていきなり49歳の葵太夫まで行ってしまいます。歌舞伎に竹本はなくてはならないものですから、後進の育成も含めて、葵太夫の今後に期待するところは多大なものがあるようです。しかし、十分その期待に応えてくださる逸材であることを再認識した演劇講座でした。


【2010. 04. 24 (土)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(8) | trackbacks(0) |
竹本葵太夫講演会
201004221334000.jpg

今日はまた寒さが戻ったような冷たいです雨です。

これから竹本葵太夫の「六世歌右衛門を語る」の講演会を聴講します。
【2010. 04. 22 (木)】 author : 六条亭
| 歌舞伎 | comments(0) | trackbacks(0) |
FLASH時計



PageRank Powered by SEO Stats





  和樂 毎月12日発売

BlogPeople

BlogPeople検索


歌舞伎ブログ にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ

qrcode