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評価:
坂東 三津五郎
岩波書店
¥ 1,995
(2010-09-15)
Amazonランキング:
位
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好評だった『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』(岩波書店)の続編的な位置づけの本で、今度は踊り(主に歌舞伎舞踊)について坂東三津五郎が語ったものを長谷部浩氏がまとめたものです。『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』のレビューは、
こちら。
『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』第二章で三津五郎は
「踊りを観るのは、理屈ではありません。
「ああいいね。やはりいいね」
でいわけです」
と語っているが、その考えは今も変わっていない、と言います。
坂東三津五郎は、日本舞踊五大流派の一つである坂東流の家元であることは周知のことでしょう。尾上松緑も藤間勘右衛門として藤間流の家元ですが、もう一方で歌舞伎舞踊の振付をしている勘十郎の流れがあり、坂東流の家元としてすべて仕切りながら、歌舞伎俳優として大役を次々とこなしている三津五郎は異色だと思います。坂東流は、幕末の女狂言師と称されて、自由に芝居見物が許されなかった大名の奥方や姫君のために、男子禁制の大奥にあがって、その時々に評判の歌舞伎舞踊をお目にかけるとを本業とする女芸人たちが三代目三津五郎の門下になっていたことに発すると言われます。そして今でも踊りの神様と語り伝えられる七代目三津五郎が現在の坂東流家元の事実上の始まりです。
その七代目三津五郎が著した『舞踊藝話』があり、当代の三津五郎は「まだ踊っていない演目があるから、舞踊について語るのはおこがましいと思っていたが、舞踊を取り巻く周囲の環境が、七代目の頃と、ずいぶん様変わりしてしまったと思うから」編者の長谷部浩氏の説得に負けて、本書をまとめたとまえがきに書いています。踊りは綺麗だが、難しい、という声をよく聞きますが、本書はその踊りの愉しさを踊りの名手である三津五郎が演者の立場から解き明かしたもの。
本書は、次の三章構成になっています。
第一章 舞踊の本質
第二章 私の踊りをつくってくれた人々
第三章 踊りのさまざま
第一章では、例えばスポーツと比べながら、「これならいい形」とイメージできる形に痛いところまで身体をもってゆくように鍛えあげてゆくことが必要であると説きます。これは日本舞踊の稽古は短い曲を通して教え込むのが普通ですが、そうではなくて「これはこういう振り」「あれはこういう振り」と細かいパーツで出来ている踊りを、パーツに分解してたたき込み、覚えさせ、それから全体を構築する稽古が大事と説明します。また、稽古と本番の舞台は衣裳を付けることにより裾捌きなど勝手が違うこと、さらには最初の部分の「出」は大事だが、「大まかな掴みができればいい」とも言います。
そして何よりも「振りから振りに移る間も踊りなんだよ」といい、なかなか「振りと振りの間を、踊りとしてうまくつなぐことができません」から、その点が「上手いか下手かの大きな分かれ目」との指摘は我々でも日常接している舞台でも肯ける指摘だと思います。
まだまだ示唆に富む部分は多いのですが、それは本書の魅力の一つですから、是非手にとって読んでいただきたいと思います。第二章は、三津五郎の踊りを作ってくれたお師匠さんたちと父である九代目のことが感謝と共に丁寧に語られています。
第三章は、『道成寺』『山帰り』『六歌仙容彩』『傀儡師』(かいらいし)『三社祭』『棒しばり』など、坂東家ゆかりの踊りについて、実際に踊った演者の立場からの具体的かつ詳細に語られています。本書を読んで実際の舞台を観れば、その踊りをより深く理解でき、面白くなると思われます。私個人としては、シャープな踊りが主流の『供奴』が、坂東流では顔も赤く、「踊りも奴らしく、もう少し土臭い、味のある。丸い踊り」という点が新鮮でした。一度是非三津五郎の『供奴』を観たいものです。