玉三郎さんの講演会の受講記もまとめ方の手際が悪く、長くなりまして四回目です。今回でようやく完結です。
体験型講習は玉三郎さんが舞台上でやってみせてくださる所作・台詞を参加者全員が実際にやってみるという稀有なものでした。玉三郎さんは素のままでも立ち姿が非常にスッキリとしていて綺麗です。それは姿勢の良さだけではありません。心を残してふっと振り返る所作も優雅です。講演会用に壇上にしつらえられた花を見て、花には恨みがありますから、と言いつつふっと振り返る、ただそれだけなのですが、実にわれわれ素人から見ても無駄のない、それでいてたしかに演じているのが分かります。しかも歩いていて急に意識が芽生えて振り返るのと意識を残して振り返るのとではまったく違うことが玉三郎さんの所作を観て納得できました。
齋藤氏はせっかくの機会だからと参加者全員を起立させて、まずそれまでの緊張をとくために軽く柔軟体操。とくに手の先が冷たいといけないと手をブラブラさせる運動をさせて、そこから玉三郎さんの手がどこから生えているのかと話を振りました。玉三郎さんは上衣を脱いで、「すべての動きが仙骨(注 骨盤の中心にあり、背骨を支えている身体の要となる骨)から手が伸びるかどうかにかかっています」と説明し、実際にやってみせてくださいました。たしかに仙骨から玉三郎さんがす〜っと手を伸ばすと綺麗に長く伸びます!大相撲の土俵入りが綺麗に見えるの同じ原理だそうです。
これはわれわれ簡単にはできませんから、ここから実際に玉三郎さんがまさに手取り足取りの如く細かい実技指導が始まりました。皆さんもご存知のように『京鹿子娘道成寺』の「花の外には松ばかり」ではじまる烏帽子をかぶって踊る場面の最後のところに「 我も五障の雲晴れて 真如の月を眺め明かさん」という長唄の詞章があります。この「真如の月を眺め明かさん」を例題にして、右下に意識を置いて、左手をす〜っと伸ばして会場のはるかかなた(過去または未来)まで意識を解き放つ練習を繰り返して行いました。最初は舞台正面を向いて練習しましたが、次に会場前方の参加者は後ろを向いて、つまり後方の参加者と向き合う形で行いました。これは結構恥ずかしいものですが、玉三郎さんと齋藤氏の魔法のような話術にかかったように参加者の皆さんは一生懸命練習していたと思います。ここで玉三郎さんが強調したことは演技には感情を込めなければいけませんが、それに見合った過不足ない形が必要であるということです。感情にとらわれると形ができないですし、逆に形にとらわれると感情が出ないということです。
貴重な体験型講演会のまとめに入り、参加者が着席後また対談が再開されました。
齋藤氏「今までの講演でこれから皆さんの舞台を見る目も変わると思います(玉三郎さんも「同感です」)。ところで玉三郎さんはインタビューを拝見すると下手なものを見ろ、何でも見ろと教わったと書かれていますが」
玉三郎さん「ひどいという噂がある芝居があったら見てきて、どうひどかったかちゃんと分解してこい、そのひどい芝居の中に自分より優れているものを見付けられるかどうか?素晴らしいという芝居があったら見に行きなさい。その中に改善すべきところを見付けられるかどうか?これは祖父の教えを父を通じて教えられました。またもう一つの教えです。自分が芝居をできると思わなければ舞台に出て行かれないものだが、その代わりに楽屋に帰って来たら、どんな看板の下の役者より上手いと思ってはいけないよ、どんな下手な役者より一段階下と思って生きて行かれるようにと教えられました。僕にとっては凄い教えでした。どんなにあいつは下手だなと思う役者よりも自分の方が下手だと思っていることを分からせる教えですね。それは離見でもありましょうし、分解力でもあるでしょう」
齋藤氏「柔道でオリンピック三連覇した野村忠宏さんにインタビューしたことがあるのですが、野村さんは負けることしか思い付かないと言っていました」
玉三郎さん「分かります」
齋藤氏「シミュレーションすると全部負けることばかり。で畳に上がった時はには金メダルを取るのは俺しかいないと思って立てるそうです」
玉三郎さん「よく分かります。皆さんが自分のことを綺麗とかいろいろなおっしゃってくださいますが、本当に自分は駄目だと思わなければ稽古できないです。自分のことを心配でないと稽古できないのです。いいと思ったら明日研究できないです」
齋藤氏「ポジティブ・シンキングというのが世の中に流行っているのですが、とにかくポジティブ、ポジティブでなくてもいいということですかね?」
玉三郎さん「こう思って稽古したんだけれど幕が開いたからにはやらなければいけないのです。そこのところでは駄目かもしれないとは思わないです」
齋藤氏「そうなると、皆さんに一回舞台に立たせた方がいいということになりますね。本当は今日は時間があれば学生に舞台に立たせて指導していただこうかなと考えていたのですが。やはり舞台に立つと腹が決まりますね。その腹なんですが、臍下丹田というのを中心に動くというのが歌舞伎にもあると思いますし、玉三郎さんの中心軸は凄いものなので、今日はちょっと皆さんに臍下丹田というか中心軸について、腹を決めるのとセットでその感覚を持ち帰っていただきたいのですが 」
玉三郎さん「僕はあまり分からないのですよ 」
齋藤氏「出来過ぎてしまって、長嶋茂男状態ですかね」
玉三郎さん「実は僕は足を悪くしましてエネルギーが無くて、無駄な筋力を使わずにターンしながら踊るということを工夫していました。そうしましたら、軸で踊るしかなかったんです。それは自分の負の部分からなんとか人さまと同じところにいられるために身体が本能的に工夫したものなのです。ですから、自分に軸があることを全然分からないのです」
齋藤氏「なるほど。ここでも天才は試練を経ると違うところに行ってしまうのですね。無駄な力を抜くというのも大事なことでしょうか?」
玉三郎さん「無駄な力を抜くというのは最近勉強したことなんですが、胸が開いていて、首が前に出てない。ということは(と言いながら実際に立って実演して見せる)反り返るのではなく、真っ直ぐ立ったまま胸が開いていて首が後ろにさがっている、この形でないと感情は出ないです」
参加者もその場で実際にやってみました。
玉三郎さん「綺麗ですね。これは理論にないことですが、体操でもバレーでも胸が開いていないと綺麗ではないですね。身体が持っている構造上の基本なんです。胸を張る、姿勢をただすという言葉がありますが、人間の基本なんです」
齋藤氏「急に美しくなりますね」
玉三郎さん「はい、美しいです。衣裳とかお化粧の美しさではなくて、ここから美しくならないといけないです。ここさえ出来ていればどこへいっても綺麗です」
齋藤氏「これに感情を乗せましょう」と、また参加者が「ありがとう」と言う体験学習。
玉三郎さん「それと子音の擦り方があります。感情が濃くなります。子音というのは擦れば擦るほど感情が立ってくる。役者の表現能力はどこから話していいか分からないほどたくさんあります。三年くらいかかりますかね」
齋藤氏「今日は演技論についてここまでやるとは思っていませんでした。ご自分と対話するということは皆さんに感覚的に理解していただけたと思います」
玉三郎さん「もう一つ、先ほどの非現実的空間について触れますと、ご自分の生まれた頃というのを思い出してください。またはご自分の記憶がある時、例えば5歳の時を思い出してください」
参加者は皆さんめいめいに思い出す。
玉三郎さん「ありがとうございます。本当に存在が無くなるでしょう。舞台で鷺になった時にふっと自分の過去世を思い出していると、動いているのに思考が無くなると半透明に見えるのです」
齋藤氏「ちょっとあの世に」
玉三郎さん「自分で思い悩んだり、過去のことを思ったりして、言葉が立体的になります。言い回しの中にしっかりと時間と空間が明確に羅列しなければ言葉にできません。また演じていながら、それが技術に見えない」
齋藤氏「今日は皆さん理解度が深いです」
玉三郎さん「でも今日は学生さんの方は楽しく分かっていただけたでしょうか?」
大きな拍手。
齋藤氏「学生の数が多いですね。開演前に学生へのメッセージをとお話ししたのですが、そのなかで玉三郎さんは本当にいいものをたくさん見るように、と実物に会うように言うことでした」
玉三郎さん「最低で人間に会うように。その人から何か聞いて、あれはいいよと言われたら見る、その人に口伝で教わることが大事です。言葉と言葉、一対一で教わる大事さです」
齋藤氏「こういうライブでもいいですよね」
玉三郎さん「実際はいいです。会話ができますから」
齋藤氏「この空気を味わった人は生きている玉三郎さんの実に会っていることになりますから。玉三郎さんは時々現実の人間のものかどうか分からないことがあります」
玉三郎さん「どこか飛んでいますから」
齋藤氏「玉三郎さんの舞台を拝見しているとちょっと人間離れしています。今日学生に言ったのですが、こういう超一流の方が来てくれることが大事だ、この空間に身を置かないと意識のシャワーを浴びられないよ、と。今日はたくさん浴びることができました。先ほど最近はスマホなどで情報を得て、実物に会わないで過ごしてしまうことが心配だとおっしゃいました」
玉三郎さん「とても心配です。やはり究極人間と会わない訳ですから、感情も出てこないでしょうし、人との対話もできないだろうし、人とも会うこともできないでしょう。そこがとても心配です」
齋藤氏「歌舞伎の舞台は実ですよね。その時だけ成立している空気が大事ですよね」
玉三郎さん「でも、その前に本当に会いたい人、話を聞きたい人に実際に会うことが大事です」
齋藤氏「玉三郎さんはいろいろな人に会われていますよね」
玉三郎さん「はい、いいろいろな方に会えて幸せでした。ですから、それで幸せだと思う感覚を皆さんにも持っていただきたいと思います。大変楽しい会でした。ありがとうございました」
予定の時間を15分も超過した体験型講演会でした。内容が濃く、充実したものでした。玉三郎さんが話されたことは、明晰であるとともに演じることに対して方法論的に明確です。一観客として一々腑に落ちることばかりでした。またご自分の身体能力をよく理解して演じ、踊っていることがよく分かりました。普段われわれが観客として接する舞台で魅了され、また大いに共感する役作りの秘密の一端に触れた思いでした。
もうこれ以上私が付け加える必要はないでしょう。是非とも玉三郎さんが話されたことを再度読み返していただきたいと思います。
最後にこのような講演会を企画・開催をされた明治大学と絶妙な対話と進行でこの会を盛り上げていただいた齋藤孝教授にあらためて感謝の意を表するとともに、続編的な講演会開催を切望して四回にわたる受講記を締め括りたいと思います。