またまた日にちが空いてしまいましたが、杮葺落六月大歌舞伎第二部の簡単な感想です。第二部は12日と千穐楽の二回観劇しました。役者さんの出来が体調にもよるのでしょうが、これほど違った印象を持った観劇は珍しいことでした。
『壽曽我対面』
江戸三座時代に初春狂言として曽我物が競って上演されたことはあまねく知られています。曽我兄弟の仇討ちは二人が非業の死をむかえたこともあり、また五郎が御霊に通じることから、曽我物狂言の上演は御霊鎮めの意味が強かったという説が有力です。しかし、後年実際には形骸化して、現在はこの『壽曽我対面』がもっとも上演頻度が高いようです。短いながらもこの一幕で歌舞伎の様式美と多彩な役柄を味わうことができるのが魅力です。
兄弟の仇の工藤祐経は座頭役者が務めますから、貫目が求められます。今回は仁左衛門でした。しかし、12日観劇時にはあの艶のある口跡にどうも張りと力がなく、座頭としての大きさに欠けていたように感じられました。三ヶ月続いた歌舞伎座新開場柿葺落公演のすべてに出演していた仁左衛門に疲れを見たように思います。それでも、千穐楽にはだいぶ持ち直していて、懐の深さをも見せる祐経になっていて安堵しました。しかし、続いて休む間もなく七月松竹座出演、疲労が蓄積しないよう祈ります。
十郎と五郎の兄弟は菊之助と海老蔵。菊之助は和事で演じられるこの十郎を襟も抜かず、血気にはやる弟を押さえる凛々しい若者として力強く演じていたように思います。他方海老蔵は意図して甲の声で通していましたが、元々が高音部が不安定な癖がありますから、12日観劇時にはすこぶる聞き苦しかったのです。千穐楽は高い口跡なりに安定してきていて、なんとか観る方も舞台全体に集中できるようになりました。しかし、再三言われていますように、海老蔵は息継ぎも含めて義太夫の稽古をして、口跡の改善に努力してもらいたいものです。
芝雀と七之助の傾城は舞台を彩る艶やかさがあり、結構だと思いました。孝太郎の舞鶴は口跡に張りがあり、兄弟を庇護する大きさを感じました。ほかに愛之助が鬼王新左衛門で出演。
なお、順序が逆になりましたが、幕が切って落とされる前に大薩摩があり、歌舞伎座新開場杮葺落を祝った詞章になっていました。
『土蜘』
新古演劇十種の内とあるように、音羽屋には家の藝とも言うべき舞踊です。菊五郎の僧智籌は実は土蜘の精ですから、花道の出から不気味な雰囲気を醸し出しています。しかも頼光の病平癒の祈念をと言いながら、頼光を狙う怪しさが舞台全体に漂うところは菊五郎の面目躍如です。土蜘の精も大きさと禍々しさをたっぷりと見せました。
團十郎に代わり頼光を演じた吉右衛門は最初ニンではないのでは?と危ぶんだのですが、品格といい病に悩む愁いといい、申し分ありませんでした。一人武者の保昌は三津五郎、頼光に仕える武将としての誠実さと土蜘退治の先頭をゆく凛々しさは見所十分です。四天王では右近の坂田金時が身体に切れがあり、形よく決まっていました。普段女形を演じている役者さんとは思えません。また、玉太郎君の太刀持音若が太刀を持った構えといい、素早い身のこなしといい、成長の跡を見せました。
魁春の侍女胡蝶は丁寧な踊りですが、もう一つ訴えてくるものがありませんでした。難しい踊りとは思いますが。
間狂言は芝雀、 翫雀、松緑、勘九郎、そして大河君で、コミカルな楽しさでした。これだけの顔ぶれが揃うのも杮葺落なればこそでしょう。