歌舞伎座さよなら公演と建て替えを経て、四年ぶりに
八月納涼歌舞伎が歌舞伎座新開場柿葺落公演として戻ってきました。平成二年に勘三郎(当時勘九郎)と三津五郎(当時八十助)が中心になって始めた試みは、三部制の導入もあってすっかり夏の風物詩として定着しました。その納涼歌舞伎の復活は歌舞伎ファンにとって嬉しいことです。
しかしながら、現実には盟主であった勘三郎を喪ったことの大きさをいやが上にも実感する公演でした。全体として演目も役者も小ぶりなのです。しかも、三津五郎がいかに奮闘していても出演する役者がほぼ固定化していては新鮮味がありません。平成中村座のロンングラン公演の時のようにゲストとして新たに参加する役者を迎えることはできなかったのでしょうか?
加えて歌舞伎座新開場柿葺落公演として三部制を三ヶ月続けていますから、三部制の有難みもさほど感じませんし、料金は下がったものの、どうしても比べてしまってかえって割高感があります。 それは演目の選択にも言えます。 過去の納涼歌舞伎では勘三郎主導で古典的な演目ばかりではなく普段では上演できないうような実験的な新作も舞台にかけられて、そのすべてが成功した訳ではありませんでしたが、歌舞伎界に大きな刺激を与えたことは事実です。しかし、今回の演目は勘三郎追悼の意味合いがあることは理解できるつもりですが、これと言って魅力を感じさせる演目が少ないのです。七月花形歌舞伎の通し狂言の方が観ている側をワクワクさせるものがありました。
勘三郎が復帰したら是非踊りたいと言っていた『鏡獅子』は公演の前半と後半で二人の子息勘九郎と七之助で分けて踊る上演形態にしたことは評価したいと思います。しかし、それができるならば、次元は違いますが、『野崎村』でなぜ両花道にしなかったのか?大いに疑問です。たしかに両花道にするということは、座席数を減じることになり、興行する側にはリスクを伴います。しかし、『野崎村』の演出と舞台効果のうえでで両花道は欠かせないものだと思います。両花道であれば上手の仮花道を行く久松の駕籠が花道、お染と母の乗った船が上手にある、という逆の形になっています。そのため一番の見せ場が何とも間延びしてしまいました。残念です。
前置きが長くなりました。第一部と第二部は二日の初日に観劇しました。例によってその簡単な感想をまず第一部について記したいと思います。
『野崎村』
福助の亡き父芝翫が得意にし、福助自身も過去に演じてきたお光です。悪かろうはずがないのですが、これは私の偏った見方であるのを承知のうえであえて書きますと、前半がよくないのです。許婚の久松を迎えた喜びを表す演技(なますを作るため大根を切っていて指に怪我をする、また鏡台を見ながら髪形をなおすところなど)と突然訪ねてきたお染に邪険にする演技がどうも大袈裟なのです。福助が悪い時の癖である顔で演技するやり方が逆効果になっています。折角の美形が綺麗に見えません。
それに対してお染と久松の二人の心中の決心をしていることに気が付いて髪をおろした後の福助はお光の悲哀を全身で表現していて秀逸です。幕切れは両花道であればさらに情感が増したでしょうが、それでも去って行く二人に対してお光は抑えようとしても抑えきれない哀しみを噴出させて父久作にとりすがって泣き崩れる姿は感動的です。
彌十郎の久作がすっかりと持ち役にしていて、久松と娘お光との間で揺れ動く情愛を巧みに見せています。七之助のお染が意外に平凡。仕所がない役ですが、お人形のような大店のお嬢様でありながら、久松との運命を予感させる危うさも必要でしょう。
扇雀はもう久松のような前髪の役が似合わなくなっていますが、そこはたしかな演技力で補っています。東蔵の油屋の後家お常は安定した役作り。しかし、このような役を演じられる役者が少ないのも気になるところです。
『鏡獅子』
勘九郎は昨年の新橋演舞場の襲名披露公演でこの『鏡獅子』を踊っています。父親が六代目菊五郎ゆかりのものとして、若い時から取り組んで来た 舞踊の大曲です。
勘九郎もその名前に恥じない立派な踊りを見せました。彼の踊りのよいところは全身をしならせるような柔らかさがある点です。ですから、どんな振りでも形が崩れず、綺麗に見えます。前シテの弥生は初々しさと清潔な色気があります。襲名披露の時の緊張感溢れた弥生と異なってたっぷりと余裕を持って踊っているようにも見えました。
後シテの獅子の精は勇壮でありながら、決して力で押しきる踊りではありませんから、毛振りでも形が崩れません。さらに磨きこんでいってもらいたい踊りです。
胡蝶は鶴松と虎之介。鶴松が随分成長した青年の顔になっていて驚きました。いい意味でもう胡蝶は卒業でしょう。
七之助の踊る後半のチケットは取っていませんが、やはり勘九郎との踊り比べをしたくなります。時間が許せば一幕見をしたいと考えていますが、果たしてどうなりますやら。