夜の部は夢枕獏の人気シリーズ『陰陽師』から長編『滝夜叉姫』を歌舞伎座新開場後初の新作歌舞伎として舞台化したものです。九月に出演している花形七人が勢揃いする期待の演目でした。 松竹側の力の入れ方も並々ならぬものがあり、通常のチラシ以外にもコミック版陰陽師を書いている岡野玲子によるものも作ったくらいです。
長編小説、それも二十年の時を隔ててダイナミックに展開する伝奇小説ですから、新作歌舞伎として舞台上演にこぎ着けるまでに舞台裏で並々ならぬご苦労があったことは推定に固くありません。後に書きますようにいろいろと注文点はあるのですが、まずは新作歌舞伎上演の努力に対して関係者に対して感謝の意を表したい。
良かった点を列挙すると、次の通りです。
(1) 七人の花形に宛てて書かれたと錯覚するほど各役がピタリと役はまっていたこと。
(2) 物語の展開がスピーディーであったこと。
(3) 場面転換がもたれることなく、円滑だったこと。
(4) そして何より一番大事なことですが、原作の雰囲気・世界をよく表出していたこと。
逆に改善してほしい点は次の通りです。
(1) 二十年の時を経て回想の場面と現在の場面が平行して描かれるので、話の筋がやや分かり難い。脚本の整理が必要と思いました。
(2) 場面転換が多いのでやむを得ないとは思いますが、舞台装置がいささか安っぽく見えたこと。
(3) 上演中客席をつねに暗くしていたが、すべての場面で必要だったのだろうか?
(4) 歌舞伎の様々な様式を取り入れて新作歌舞伎にしようとしたため、様式的に統一性に欠けるうらみが残ったこと。
個々の役者を見ると次の通りです。
・ 染五郎(安倍晴明) ー 今の歌舞伎界に於いて名実ともにこの人ほど晴明役にあった人はいないでしょう。この演目では狂言回しの役割も担っています。顔の作りにも工夫があり、一層引き立っていました。ただ、欲を言えばニヒルな面もさらに欲しかったと思います。
・ 勘九郎(源博雅)ー 笛の名手で、晴明のよき友人。晴明とのやり取りで人柄の良さと滑稽味も上手く出していました。
・ 菊之助(滝夜叉姫)ー いわゆるタイトルロールですが、残念ながら滝夜叉姫は真の主役ではありません。しかし、幕開きの百鬼夜行では妖しさがあり、そして父親の将門の再生を願う娘の心情をひたむきさがあり、役に奥行きを作り出していました。ただ、滝夜叉姫というと四月に玉三郎が演じた舞踊『将門』をどうしても連想してしまいますので、ここは菊之助が舞う舞踊があってもよかったでしょう。
・ 松緑(俵藤太) ー 将門の生涯の親友である武将で、唯一荒事も見せます。昼の部と同様に独特の台詞回しには馴染めませんが、将門への篤き友情を感じさせました。
・ 七之助(桔梗の前)ー 将門の妻となって滝夜叉姫の母となる女人です。第一幕のみしか出番がありませんが、その存在感は抜群です。
・ 愛之助(興世王)ー 将門を操り、天下を狙う悪人、実は藤原純友です。原作では将門と盟約を交わす場面があるのですが、この舞台では悪の張本人で、愛之助の悪の魅力全開です。舞台後方での宙乗りもありました。
・ 海老蔵(平将門)ー 新皇と呼ばれ、坂東の地を制圧した偉丈夫の将門もまた海老蔵にしか考えられない役でした。その鋭い眼光は蘇った時の将門にこそ相応しく、威力を発揮します。脚本のためもあるでしょうが、将門が都の朝廷に叛いた部分が説明不足です。しかし、その大きさ、オーラはやはり海老蔵ならではです。
亀蔵の蘆屋道満も原作のイメージと異なるのが不満と言えば言えますが、そこは新作歌舞伎、綺麗に見せるという考えでの改変でしょう。晴明たちの動きを遠くから傍観しながらも関わってくる不思議な味は亀蔵でなくては出せないものでした。
他に市蔵、権十郎、團蔵が脇を固めていて万全でした。 新悟の大蛇の精もキラリと光っていました。
(一日初日、二十五日千穐楽所見)