初日に観劇した
吉例顔見世大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』 昼の部を雑感風にまとめます。
仮名手本忠臣蔵の通しは私ももう何回も観ています。歌舞伎の不入りの時でもこれを出せば必ず当たることから「芝居の独参湯」と言われていることはご承知の通りです。しかしながら、最近は松の廊下の刃傷から切腹、赤穂浪士の討ち入りの話は若者には必ずしも常識ではないようですから、この通し狂言の上演が興行上の大当たりを約束するとは限りません。
それでも三大名作のなかでもこの仮名手本忠臣蔵が飛び抜けて上演頻度が高いのは、歌舞伎の役柄のほとんどを観ることができ、かつ各段の構成が緻密にできていて、見応えがある傑作だからでしょう。また上演にあたっての細かい約束ごとも多く残されていて、一際古風な大歌舞伎の名残を観ることができます。
しかし、昼夜二部制の上演方式では今回のように大序、三段目、四段目、五段目、六段目、七段目と上演し、そこから飛んで実録風の十一段目の討ち入りというパターンが固定化してしまっています。単独では壽初春大歌舞伎で予定されている九段目「山科閑居」が独立して上演されることはあるものの、その他の場の上演は稀です。
幸い平成20年の平成中村座では四つのパターンに分けて上演する意欲的な試みが十八代目勘三郎によってなされ、仁左衛門の協力により二段目や三段目の進物の場の本蔵など貴重な舞台に接することができました。十二月も仮名手本忠臣蔵の通し上演が配役を替えて、しかも花形を主として行われます。藝の継承という意味ではそれも必要なことでしょうが、歌舞伎座でも平成中村座のような試みがなされてしかるべきです。
閑話休題。今月の通し狂言では仁左衛門の休演に伴い、配役の変更が行われて、吉右衛門が通して大星由良之助を演じることになったこともご承知の通りです。もともと吉右衛門は高師直を演じる予定でしたから、これはこれで残念ではありますが、四段目の由良之助は高麗屋が演じることが多く、通して吉右衛門の大星を観ることできるのは楽しみなことでしたし、ご本人も大変意欲的です。
吉右衛門、初の全段「大星」 古典ロケット打ち上げたい(4日付け東京新聞伝統芸能記事)
また、菊五郎が昼夜で切腹する二役、塩谷判官と勘平を演じ、四段目では菊・吉が大役で真正面から渡り合います。
大序は口上人形の配役の披露、そしてゆっくりとした荘重な幕開き、義太夫にあわせて人形から徐々に登場人物になるところは何回観ても上手くできているところです。また登場人物達の衣裳の色が役にあわせて異なっていて絵になるのも歌舞伎ならではでしょう。
直情径行の若狭之助の梅玉とおっとりと品のよい菊五郎の判官はともに積み重ねてきた藝の年輪でその対比が際立ちます。左團次の高師直は敵役の憎々しさがよく出ています。かねて懸想している顔世御前に言い寄る場面は好色さも十分ですが、この人の芸質からかやや世話にくだけ過ぎるようにも感じました。
芝雀の顔世御前は毎月の大役続きでの好調さがそのまま持続しています。気品と芯の強さが同居していて感心しました。直義は七之助で、ヴェテラン勢に負けず劣らず堂々としていました。
三段目の進物の場は、松之助の伴内の独壇場。滑稽さのなかにもメリハリの効いた芝居をするので、もたれず次の場面へ上手く繋いでいます。
次の刃傷の場面ははじめ師直の挑発に乗らずに鷹揚に構えていた判官が次第に怒りが沸き出し、ついには激昂して刃傷に至るまでを菊五郎が的確に演じています。左團次は判官を鮒侍と蔑み、罵るさまはたっぷりといやらしさを見せつけています。
四段目の菊五郎は切腹の場面に至るまでの風情、所作は流れるようであり、無念ながらも切腹を覚悟した判官の心理を巧みに表しています。梅枝の力弥との無言の別れにも情がこもっています。大星を待ちきれず腹を切った判官のところへ駆け付ける大星由良之助。少ない言葉ながら主従の間に無念の思いが伝わります。ここら辺りは観る側を感情移入させずにはおかない菊五郎と吉右衛門の藝の真剣勝負です。
切腹後の葬送、談合、明け渡しと息詰まるような場面の連続です。吉右衛門の大星は最初は腹でじっと耐えています。受け身のように見えますが、斧九太夫のようなさもしい家臣と真の忠臣を見分けるための我慢です。それが明け渡しで爆発します。主君の無念さに思いをあらたにし、仇討ちを誓う由良之助は鬼気迫るものがあります。
左團次が上使で登場して、塩谷家に同情的な役を好演していますが、配役の都合とはいえ、前場までいじめる側を演じていたのですから、ここは別の役者でないと違和感は拭えません。歌六の薬師寺はべりべりとしていて結構だと思いました。
道行は梅玉と時蔵の組み合わせが相思相愛の二人になっていて、重苦しい前場までの場面を振り払うような艶やかでいて、また爽やかな舞踊になっていました。團蔵の鷺坂伴内は役柄として先月の逸見藤太と混同されやすいのが気の毒ですが、その剽軽な味は捨てがたいものがあります。