関容子氏の『勘三郎伝説』(文藝春秋)については既にレビューを書いていますが、勘三郎と丸谷才一との交流について一章があてられていることは意外でした。私も劇場で時々丸谷氏を見かけたことがありましたが、これ程の深い交流であったとは思いもかけませんでした。
方や歌舞伎役者、こなた文学者、それも小説から文芸批評、エッセイ、翻訳等今までの日本文学の常識を遙かに越えたスケールの大きい文学者です。丸谷氏は歌舞伎の枠を越えて活躍する勘三郎に己を重ね合わせていたのでしょうか?
さて、肝心の本題です。平成七年に丸谷氏が古希を迎え、「「直接原稿を手渡したことのある編集者たち」を何十人か築地吉兆に招いて、お祝いの会が開かれる」と関容子氏が聞いた時のエピソードです。関容子氏自身はそれにあてはまらなかったが、「文春編集者の竹内修司さん(『中村勘三郎楽屋ばなし』の担当だった)が、丸谷さんの作品名づくしで弁天小僧の「知らざぁ言って……」のパロディを作った、と聞き、これを中村屋に朗読してもらってテープに入れましょう」と請け合い、会に間に合わせたのですね。その作品名づくしが傑作ですので、以下に引用させていただきます。
「知らざぁ言って聞かせやしょう。エホバの顔を避けてより 賑やかな街遠く見て 年の残りを数えつつ 幾夜寝ざめの笹まくら たった一人の反乱と 人は言えども大きなお世話 好きな背広は大江戸の 大名火消しのウロコ型 軽いつづらで心も軽く めぐりめぐりし日本の町 見わたせば 柳桜をこきまぜて 夕べは耳に鳥の歌 みみづくの夢をむすぶもよし 夜明けのおやすみも気随気儘 これぞ男ごころの遊び時間 雁のたよりに誘われて 居を定めしはさんま坂 犬だって散歩するこの坂を 裏声で君が代歌い過ぎ行けば 折からつのる横しぐれ 青い雨傘さしかけし 女ざかりに血道を上げ 低空飛行も二度三度 さてこそ挨拶ぁむづかしい ここらで夜中の乾杯と めでたく七十路迎えたる 丸谷のジョイスたぁ 俺がことだ」
さて、いくつの作品名が入っていたでしょうか?皆さま、試してはいかがでしょうか?
中村屋が「大名火消しのウロコ型、って『忠臣蔵とは何か』のことだね。さんま坂は目黒の先生だからか。でも丸谷のジョイスって何?」と聞いたとは、丸谷氏がジョイス研究からは出発したことを知らなかった訳ですから、愛嬌のある話です。
いずれにしてもこの文学と歌舞伎のコラボの録音テープ、中村屋の七五調の名調子を聞くことができると思うと、ぜひとも聞きたくなってしまいます。