海老蔵は通し狂言『雷神不動北山櫻』を数回出していますが、歌舞伎座では初の上演です。 そのためか今回の通し上演では序幕は今までの舞台と変えていて、『仮名手本忠臣蔵』の大序風にしています。自ら行っていた物語と登場人物を説明した口上は止めて、口上人形を使い、早雲王子は人形身です。
その狙いも当たりこの序幕は門之助、市川右近、愛之助などが揃い、荘重な出だし。天子の座を狙い奸計を企む早雲王子は公家悪の禍々しさがあってよい出来だと思いましたが、陰陽師安倍清行は外見は光源氏風にしても好色さを強調するあまりかややわざとらしさが感じられます。
「毛抜」に続く場面を含めて、「鳴神」「不動」の間をつなぐ場面も説明的で役者も仕どころが少く、観ていてもあまり面白いとは思えないのは変わりません。単に舞台転換と海老蔵の拵えの時間を稼ぐためとも言えましょう。しかし、それだけ「毛抜」「鳴神」が群を抜いて歌舞伎十八番らしい面白さがあると言えます。
「毛抜」
海老蔵の粂寺弾正は大らかさ、豪快さと稚気があって安心して観ていられます。以前に比べて高音部の台詞回しも安定してきています。ただやや大仰過ぎる部分があるのが欠点です。同様なことは獅童にも言えます。
誇張した演じ方が時として漫画的に見えてしまうのは再考の余地があるでしょう。毛抜は元々そういう要素があってよい狂言ではありますが、程というものがあると思います。市川右近の小野春道はニンにあっておらず、松也、児太郎も物足りません。笑三郎の巻絹はすっかりとこの人の持ち役で手堅く、尾上右近も最近の好調さを裏付ける出来でした。
「鳴神」
今回の通し上演の中では玉三郎が約28年ぶりに雲の絶間姫を演じたこともあって圧倒的に鳴神が良く、続いては毛抜です。不動は一種のショーですし、ネタバレしないよう書くことは控えます。
玉三郎の鳴神、雲の絶間姫を書くとなるとどうしても1987年お正月の国立劇場の舞台のことを書かざるを得ません。ここは暫く個人的な回想を書き連ねることをお許しいただきたい。
1987年お正月の国立劇場公演は同じ
『雷神不動北山櫻』の通し上演でした。それは私にとって忘れられない舞台です!思えば初代辰之助の粂寺弾正であり、十七代目羽左衛門の不動明王という豪華版でした。鳴神上人と不動明王は本来二代目松緑が演じる予定だったはずが、体調不良により休演し、それぞれ代役がたった訳です。
しかし私はひたすら玉三郎を、絶間姫を観たかったのです!学生時代は時間だけはありましたから、好きな歌舞伎を多く観ていました。お知り合いから株主優待のチケットを頂いていそいそと通ったことも懐かしい想い出です。ただ、今思えば当時は楽しんでいたというより勉強の延長のような感じです。しかし、就職してからは高度成長期の時代、仕事も忙しいうえに、転勤・家族の病気・結婚等家庭にも追われ、歌舞伎観劇はお預け。
ですから、 観劇休止中に一躍女形のホープとして人気急上昇の玉三郎の生の舞台にはなかなか接する機会がなかったのです。四十歳を過ぎて仕事も安定し余裕が出てきたところへ、玉三郎の雲の絶間姫!これを見逃してはならじと観に行ったことが大袈裟に言えば私の人生の大転換となりました。鳴神上人以上に玉三郎の色香に迷ったのです。拙HPも拙ブログも誕生しなかったでしょう。
花道から出た玉三郎の絶間姫は儚げで、脆くも崩れそうな風情でした。だが自らの恋を語りながら上人を、観客を巧みに惹きつけてしまう。そして濃厚な濡れ場。清潔でありながら、ついには上人を落としてしまう色香があります。世話に砕けてからもポンポンとやり込めながら、酒に溺れさせてしまいます。しかし、その心底には上人を騙したことに対する申し訳ないという心根がありました。また富十郎の鳴神上人も荒事の基本をきっちりと押さえながら、破戒してゆく高僧を見事に演じていました。
滝壺に封じ込められた龍神を解き放つ絶間姫の姿の凛とした美しさ!結局私は玉三郎に女形の全ての美点を全身で感じ取ったのだと思います。その時今この女形を観ておかないと絶対後悔すると心に決めたのです。勿論まだ働き盛りであったから、全ての舞台を観る時間的余裕はなかったのですが、阿古屋初演など主要な役は追いかけました。
八ツ橋や揚巻でさらに少なくとも東京周辺での舞台の追いかけは加速しましたが、なぜか雲の絶間姫の再演はなかったのです。そこへ約28年ぶりの今回の海老蔵との共演。否が応でも期待は高まり、そしてその期待以上の満足感で満たされました。より大きく艶めかしい絶間姫が花道にいます!馴れ初めの語りも愛らしく、色っぽい!また濃厚さを増した濡れ場。上人に胸元へ手を入れられて見せる恍惚の表情は観ているものをゾクッとさせるに十分でした。
世話に砕けてからもも玉三郎が得意とする捨て台詞や呟きが効果的で上人を翻弄します。海老蔵も負けじと応酬するさまはまことに鳴神の面白さを堪能させてくれました。海老蔵は玉三郎と一緒の舞台ですとピリッと締まっているように感じられます。この鳴神を含む第三幕と大詰の一幕見だけでも一見の価値があります。これを観なければ絶対に損です!